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June 06, 2008

男子バレー16年ぶり五輪に王手 でも他の競技はもっと凄い

男子バレーボールの北京五輪最終予選、日本対オーストラリアは3-0で日本が勝ち、16年ぶりの五輪出場に王手をかけた。

ひとくちに16年というが、間に3回の五輪が入る長さだ。
球技の日本代表、特に男子はなかなか五輪出場が果たせない。企業スポーツが崩壊したり、アジア諸国に追い越されたり、少子化の影響だったり、様々な要因が入り交じる中、16年ぶりに五輪出場が果たせれば快挙であるのは間違いない。では、他の競技はどうだろうか。

●ブランクを埋めた競技

女子バレー 4年ぶり
2000年シドニー五輪の出場権を失うも、2004年アテネ五輪出場。

男子バレー 16年ぶり
1992年バルセロナ五輪出場以降、96、00、04年予選敗退。
これ以前には、1980年モスクワ五輪出場権を穫れなかったが、1984年ロス五輪出場。

女子バスケット 20年ぶり
1976年モントリオール五輪出場後、80年、84年、88年、92年と予選敗退が続いたが、1996年アトランタ五輪出場。
2000年シドニー五輪は出場権を穫れなかったが、アテネ五輪出場。
北京五輪は9日から最終予選。

サッカー男子 28年ぶり
1968年メキシコ五輪後、72、76、80、84、88、92年と予選敗退が続いたが、1996年アトランタ五輪に出場。以降3大会連続出場中。

女子ホッケー 
1980年モスクワ五輪で正式種目になるも、長い間出場はなかったが04年24年目に初出場し、08年と連続出場。

●ブランクが続く競技

男子ハンドボール 20年連続
1988年ソウル五輪以降出場なし

男子水球 24年連続
1984年ロス五輪以降出場なし

男子バスケット 32年連続
1976年モントリオール五輪以降出場なし

女子ハンドボール 32年連続
1976年モントリオール五輪以降出場なし

男子ホッケー 40年連続
1968年メキシコ五輪以降出場なし

女子水球 出場なし
2000年シドニー五輪に正式種目になって以降出場なし。

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Comments

私は今から13年前に「ニュースステーション」で女子ハンドが唯一出場したモントリオール五輪に纏わる特集を見た事がありますが、あまりにスゴイ内容だったので今でも強烈に記憶してます。
なぜならこの五輪アジア予選の決勝戦(正確には世界選手権アジア予選)は我が国のスポーツ史上唯一実施された無観客試合だったからです。
日本は韓国で開催された東地区の準決勝ラウンドで韓国と台湾にそれぞれ2勝ずつ上げて4戦全勝で1975年2月28日と3月2日に世界選手権アジア代表の座を賭けてイスラエルと2試合制で行われる決勝戦に進出。
(ちなみに韓国戦の次の勝利は結果的に有効になった昨年8月のアルマトイでの五輪予選まで32年間見放されます)
西地区からは当初の予想ではインドと思われたが対戦相手がイスラエルになったため政治的な理由で対戦拒否し不戦勝で決勝戦に進出。
ただイスラエルは日本にとって招かれざる客でした。
当時の日本は極左過激派の活動が活発であり、ミュンヘン五輪でのアラブ過激派グループの「黒い九月事件」の記憶がまだ生々しく対戦相手もその時のテロの被害国であるイスラエルだったため治安当局はテロを相当に警戒してました。
イスラエル選手団を乗せた飛行機の到着時刻と宿泊先は完全に極秘。
会場も関東近郊の公的な体育施設は全て断られたがなんとか調布市のある企業の体育館を確保。
ただし会場名は非公表でした。
尚、当日の新聞には調布市”某”体育館と表記されており、運動面の行事の告知欄にはこの試合は掲載されていません。
また現在でも協会はこの会場名を公表してないはずです。
会場には30数人の制服&私服警官が警備にあたり装甲車も数台配備の厳戒態勢。
選手&大勢の報道陣は護送車で送迎。
しかも協会関係者からは「市外局番が03から始まらない場所(つまり23区ではない場所)」としか行き先は告げられてなかったそうです。
会場内には報道陣の来場は可能でした厳重な身体検査を受け外部との連絡は完全に遮断された状況でした。
選手も「まるで檻の中での試合です」とコメントしてました。
試合は2試合とも日本が2桁の点差をつけて大勝。
しかし莫大な警備費用などのためたった2試合のために当時の協会の年間予算の4分の1である1000万円近く出費。
もちろん無観客のため入場料収入も無く、会場を非公表にしている以上テレビ放送も出来ないので放送権収入や広告収入も皆無。
つまり支出がそっくりそのまま赤字になりました。
その後世界選手権の切符を手にした日本は12月の本大会では4位以内に入れなかったため五輪切符獲得は持ち越しするも翌1976年の本大会直前に行われたアジアとアフリカとパンアメリカンの3大陸による最終予選で米国とチュニジアを倒して見事に五輪出場権を獲得しました。
本大会でも開催国カナダを下して5位に入賞しました。

昨年12月に五輪のやり直しの再戦が決議された時、女子に関しては私は過去の経緯を知ってたのでなにか不思議な因縁めいたものを感じました。
ごくありふれた普通の日常生活がいかに尊く素晴らしい事もあの番組を見てとても思い知りました。

Posted by: 中東の太鼓 | June 07, 2008 01:03 AM

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