エース中垣内を擁しながらアルゼンチンに完敗した シドニー五輪最終予選
男子バレー16年ぶりの五輪出場を決める今日の試合の相手はアルゼンチン。
8年前のシドニー五輪最終予選で完敗した因縁の相手だ。
1999年12月、上海でシドニー五輪アジア予選が開かれ、韓国が優勝。日本は中国、台湾に勝つも韓国に敗れ、アジア代表の座を譲った。
それから7ヵ月後の2000年7月 ポルトガルでシドニー五輪最終予選が行われた。
日本、アルゼンチン、ベネズエラ、ポルトガルの4カ国が参加し、優勝国のみがシドニーへの切符を手にする。
寺廻監督がこの大会のために取った秘策は、中垣内祐一の復帰だった。
中垣内は1989年のW杯で全日本に抜擢され、92年のバルセロナ五輪時のエース。
96年のアトランタ五輪は予選敗退、98年の世界選手権を最後に全日本を退いていた。
アトランタ五輪予選時は、アジア随一の実力がありながら、慢心から韓国に出場権を浚われていた。
中垣内が復帰を決めたのも、このときの無念を晴らしたい思いがあったからと思われる。
このとき中垣内32歳である。
日本0-3アルゼンチン
日本3-0ポルトガル
日本3-0ベネズエラ
シドニー五輪出場権はアルゼンチンへ。
結果は、アルゼンチンのエース 202センチのミリンコビックの前に歯が立たず完敗。
ベネズエラ戦、ポルトガル戦は完璧な試合ができたが、日本と世界との差は大きく開いたことが証明された。
中垣内はアルゼンチン戦17本、ポルトガル戦26本、ベネズエラ戦16本のスパイクを決め、この数はチームで一番だった。
その後アルゼンチンには世界選手権や、W杯で勝ったが、五輪出場をかけた試合で勝たない限り、借りを返したことにならない。
この2000年の最終予選に参加した選手が、現全日本に一人だけいる。
ノブコフ205こと 斎藤信治だ。
(蛇足)
シドニー五輪に出場したアルゼンチンは、金ユーゴスラビア、銀ロシア、銅イタリアに次ぐ4位入賞を果たした。
もうひとつ、
Hey! Say! JUMPの知念侑李の父親は、バルセロナ五輪体操団体銅メダルのメンバーで主将だった知念孝だ。
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