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June 12, 2008

かつて五輪競泳選手は着る水着を指定されていたこともあった、日本水連SPEEDO社の水着を容認

日本水連は10日、五輪選手のSPEEDO社の水着を容認、水着選択の縛りをなくし、事実上自由選択とした。
この混乱のもとは、2005年に日本水連がミズノ、デサント、アシックスの国内3社と、2008年から2016年までの五輪3大会12年の長期契約を結んだことにある。
安定した協賛金の確保を目的とし、SPEEDO社のLRのような水着の登場を想定していなかったのだ。

水着製作技術そのものが金メダルを左右するようになっては本末転倒であると思うが、今回のような高性能の水着が登場した場合、いかに水着を味方につけるかも勝者の条件となると改めて感じた。

初期の五輪では、どんな水着を着ていただろうか。
女子の競泳が初めて五輪の正式種目になった1912年のストックホルム五輪では、ワンピースの下に短パンをはいたようなものだったという記録がある。
戦前、1932年、36年と水泳NIPPONといわれた黄金期の日本勢は、男子も女子も上半身まで覆うワンピースの水着を使っていた。素材は絹。1932年の日本男子は、5種目中4種目に金銀(あるいは銅まで)を独占したのだが、練習時はふんどし、競技では絹の水着を着まわした。これは水着の数が少なかったためだ。

戦後は合成繊維の開発が進み、1964年の東京五輪で初めてナイロン100%の素材が使われている。1976年のモントリオール大会では、ナイロンにポリウレタンを加え、伸縮性が改善した。
1984年のロサンゼルス五輪から 脚の付け根を動きやすくしたハイレグ水着が登場、翌ソウル五輪では、繊維の直径を従来の2分の1にして生地を滑らかにし、表面の摩擦抵抗値を10%低くした。

1992年バルセロナ五輪の女子200m平泳ぎで14歳の岩崎恭子が金メダルを獲った。
ポリエステル素材の表面に特殊加工を施して摩擦抵抗値を15%減らしたミズノ製の水着はブームとなり、日本国内で3回増産して通常の数倍の計8000着、6800万円を売り上げた。さらにこのモデルは米国、ドイツ、中国など35か国以上で採用された。

2000年シドニー五輪では、当時提携関係にあったSPEEDO社とミズノが共同で開発した新素材の水着は、サメのように滑らかに泳げると、話題を呼び、シドニーの競泳の男女計51個の金メダルのうち、31個の金メダルを獲った。
メダルを取ることで、直接売上高に結び付くことは多くはない。とはいえ、製品が世界に認知され、その技術の蓄積があらたな商品開発につながっている。

●指定されたメーカーの水着

女子競泳

男子競泳

シンクロほか

1992

ミズノ

デサント

アシックス

1996

デサント

アシックス

ミズノ

2000

アシックス

ミズノ

デサント

2004

3社で自由選択

2008

3社+SPEEDO

1992年から3大会、日本水連は日本人選手に対し着る水着を指定してきた。
男子競泳、女子競泳、シンクロと飛び込みをミズノ、デサント、アシックスの3社で持ち回りにしていたのだ。
ところが、シドニー五輪でアシックスを指定された女子選手から、自由化を求める声が上がり、一部の選手はミズノを使った。それもあり、アテネ五輪では指定が崩れ、北京五輪では各選手が3社の製品から選ぶようにと、されていた。

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Comments

今大会って、4社の中からの選択ですか?
てっきり、どの企業の水着でも良いのかと思ってました。
という事は山本工業の生地を使ったNZ製の水着はダメって事ですよね。

Posted by: sawasawa | June 17, 2008 11:51 PM

6月11日付けの読売新聞によると「選手は五輪代表に選出された際、誓約書にサインをするが、誓約書には五輪で3社水着のどれかを着用することが明記されている。」そうです。
それからすると表向きは自由化でも、実際は3社+SPEEDOで、NZ製を敢えて選択する選手はいないのではないでしょうか。

Posted by: 管理人 | June 18, 2008 10:52 AM

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