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September 11, 2008

ブルガリア対スロバキアは0対82!

世界は既に2010年に向かって動き出している。

女子のアイスホッケーのバンクーバー五輪の予選が始まっている。
予選に初参加したブルガリアは、9月7日 スロバキアに82-0で敗れた。

アイスホッケーの1試合は20分×3ピリオドで行われるから、ブルガリアは44秒に1点ずつゴールを許した計算になる。
スロバキア戦の前にイタリア、クロアチアとも試合をし、0-41、1-30で敗れていた。

ブルガリアの人口は740万。しかし、国内に3つの屋内のアイスリンクは3ヶ所のみ、女子選手は37人しかいない。

一方、サッカーにおける最多得点試合は、2001年の米領サモア対オーストラリアで、0-31という点差がついた。
この試合は2002年の日韓W杯オセアニア予選での試合で、米領サモアはFIFAランク203位の最下位。
オーストラリア代表にはビドマー、ポポビッチ等有名な選手も出ていたし、アチィ・トンプソンはひとりで13ゴールを挙げた。

クリケットでは1938年のイングランド対オーストラリアで903-7。
ラグビーでは、2003年のW杯でオーストラリアが142-0でナミビアを下した記録がある。この試合以前の1試合最多失点は、1995年のW杯の日本対ニュージーランドの17対145だった。

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Comments

スロバキア対ブルガリアは女子のアイスホッケーですか。

女子の方が、こういう時に容赦しない気がするんですが、気のせいでしょうか(笑)。

サッカーの31対0というのもすごいですが、これって、きっと米領サモアは点を取りに行ったからじゃないでしょうか。少なくとも31回、自分のボールでキックオフしてるんですよね(笑)。ボールを前に回したら、ボールを取られてしまって、攻められてゴール・・・ こうならないと3分に1点は取られないんじゃないかな。

日本の国際試合で、点差がついた試合として覚えているのは、けっこう有名だと思うけど、メキシコ五輪予選の対フィリピン戦の15-0というもの。

結局、これが効いて、日本が得失点差で韓国を上回って出場権を得たわけだけど、韓国が最終試合で当たったのがフィリピンで、この時、いろいろ曰くはあるけど、とにかくフィリピンは守りに徹して、韓国にたしか5点しか許さなかったわけで・・・

主将でエースストライカーのパチェコを最後方に下げ、90分間、ペナルティエリアから11人が出なかったというすごい試合(笑)。いくらシュートを打っても、選手に当たっちゃう。

それを考えれば、きっと米領サモアはまともに戦ったんでしょう。いや
あっぱれ。何がだ(笑)

Posted by: でいのしん | September 12, 2008 03:18 AM

>メキシコ五輪予選の対フィリピン戦の15-0

逆に日本のサッカーが最多失点で敗退したのがメキシコ五輪予選からちょうど半世紀前の1917年の極東選手権でのフィリピン戦。
スコアは2-15
よりによって最多得点と最多失点の相手が同じとは奇遇です。
ちなみにこの試合が日本の国際Aマッチ通算2試合目。
またこの時の日本代表は東京高等師範学校の単独チーム。
対照的にフィリピン代表にはバルセロナで最年少出場記録と最年少ゴールの記録を持ち現在でもクラブ史上最多のゴール数を挙げた伝説の名選手で”ゴールの網を破る男”と呼ばれたパウリーノ・アルカンタラが出場してました。
現在でたとえるならサッカーを覚えたばかりの学生チームの対戦相手にメッシやボージャンのような若い天才が紛れ込んだチームと戦うようなものでしょうか?
さすがに学生が勝つのは不可能ですね。

ただ極東の島国の代表チームのように練習試合とはいえ大学生相手に負けるのはちょっとマズイと思いますが(笑)

Posted by: 中東の太鼓 | September 13, 2008 01:35 AM

パウリーノ・アルカンタラはスペイン人の血も引いていたんですよね。
フィリピン代表のあとにはスペイン代表にも入っている。
現在のFIFAのルールではあり得ないのですが。

杓子定規でない古い時代の話です。

Posted by: 管理人 | September 14, 2008 04:34 PM

こんにちは。

>逆に日本のサッカーが最多失点で敗退したのがメキシコ五輪予選からちょうど半世紀前の1917年の極東選手権でのフィリピン戦。

そうだったんですか。フィリピンはかつては強かったんですよね。メキシコ五輪予選の時も、その3年前に日本はフィリピンに敗れていて、このフィリピンの弱さは予想外だったようですね。

フィリピンはその他の試合も大敗をしていて(対南ベトナム0-10、対台湾2-7、対レバノン1-11)、最後の専守防衛は韓国も予期しておらず、焦ったのが5得点に終わった要因の一つだったようです。

それから国際Aマッチの認定基準ですが、オリンピック予選・本大会については、日本とFIFAでは違いがあるんですよね。15-0の時、釜本は6得点を挙げていますが、これらの試合が認定されないと釜本の国際Aマッチの得点はずいぶん減ってしまいます。

>パウリーノ・アルカンタラはスペイン人の血も引いていたんですよね。

フィリピンは1898年の米西戦争まではスペイン領でしたからね。その後、フィリピンはすぐ独立できると思ったのに、アメリカの方が認めず米比戦争となり、完全に終結したのが1913年ですから、1917年はそれから程ないわけで・・・ アルカンタラだけでなく、ほかにもスペイン直系の選手がいたのかもしれません。

それにしても、オリンピックや世界選手権など国際大会で、他国の代表経験者が帰化した時の扱いは競技によってすいぶん違いがありますね、FIFAの基準が最も厳しいのは、やはりサッカーがそれだけ国際的に人気があり、したがって問題も起こりやすい競技ということでしょうか。

Posted by: でいのしん | September 15, 2008 02:40 PM

国籍変更による代表入りといえば、元浦和レッズのエメルソンがカタール国籍を取得して、W杯予選に出てくるなんて話もありました。
が、ブラジルユース代表の経験があるため没になりました。
このとき実は年齢詐称もしていたようですが。

ちょっと日本代表対エメルソンも見てみたかったです。

Posted by: 管理人 | September 17, 2008 02:34 PM

>他国の代表経験者が帰化した時の扱いは競技によってずいぶん違いがありますね

代表資格の規定が断トツにユルいのは間違いなくラグビーでしょうね。
他の競技のようにパスポート絶対主義じゃないですから。

・当該国で出生
・両親、あるいは祖父母のいずれかが当該国で出生
・36ヶ月間継続して当該国に居住

この3つの条件のいずれかを満たせば当該国の代表の資格を得られます。
たとえ生まれた時点で縁もゆかりも無くても3年以上継続してその国に住んでいるだけで、過去に他国で代表選手になっていなければ当該国の代表の一員として名を連ねる事に規定上の問題は無いのですから。
国籍というより”協会籍”と言った方が当てはまりますね。
ただラグビーは2000年に規定が改正されるまでは過去に他国で代表経験がある選手でも先の条件を満たせば当該国の代表になれました。
1999年のW杯では日本はジェイミー・ジョセフとグレアム・バショップのNZ代表経験がある両名が名を連ねてました。
本物のオールブラックスを起用した平尾ジャパンは“チェリー・ブラックス”と揶揄されてました。
ただしW杯では3戦全敗でしたけど(苦笑)

対照的にサッカーは2003年に代表資格の規定が一部緩和されて他国の代表(A代表&年齢別の代表)として公式戦に出場経験があっても21歳以下なら一度だけ変更が可能になりました。
エメルソンは規定が変更した時は既に年齢の条件に該当しないからもともと無理でした。
(しかも年齢をサバ読みしてましたから(笑))
カタールといえば4年前には当時ブレーメンに在籍してブラジル国籍で代表歴の無かったアイウトンら3人に国籍を与えて自国の代表にしようと画策した事がありましたが、FIFAは「国籍を新たに変更しても2年以上の居住歴がない者は代表になれない」というルールを新設して阻止したことがあります。
ちなみにその時のカタール代表監督があのトルシエでした。
ただ最近のJリーグで活躍したブラジル人が高年俸につられて中東諸国に移籍(しかもシーズン中に)する動きは気になりますね。

Posted by: 中東の太鼓 | September 19, 2008 02:13 PM

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