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October 10, 2008

たまにはボクシングのはなし(2) アメリカのいないヘビー級

フェリックス・サボン
前回、ソウル五輪をキューバはボイコットしたと書いた。
仮に、キューバがソウルに来ていたら、ボクシング史上初の4連覇の快挙が成し遂げられていたかもしれない。
フェリックス・サボン。
1992、1996、2000年とヘビー級で五輪3連覇を達成したサボン、21歳で迎えるはずだったソウル五輪に出場していたら、ボクシング界唯一の五輪4連覇を達成していた可能性が高い。
事実、1986年から1997年までの世界ボクシング選手権ヘビー級では6連覇、五輪と合わせ世界タイトル9冠という超人だ。
プロの選択のないキューバだからなし得た快挙かもしれないが、サボンがプロ入りしていたら、歴史が変わったはずだ。

ルスラン・チャガエフ/ニコライ・ワルーエフ
1997年の世界ボクシング選手権で、実はサボンは決勝でルスラン・チャガエフ(ウズベキスタン)に敗れている。が、チャガエフは、プロのリングに2回上がった経験があることが後に判明、チャガエフの金メダル剥奪は剥奪され、サボンは後味は悪いものの6連覇を果たした。

1999年にもサボンに勝利し、生涯で2勝挙げたチャガエフも、五輪金メダルとは縁がなく、1996年アトランタでは初戦敗退、2000年シドニーも2回戦敗退に終わった。
しかし、改めてのプロ入り後、2007年4月14日にWBAヘビー級王者、ロシアの大巨人、ニコライ・ワルーエフと対戦し、12R2-0の判定で勝利した。
ワルーエフは身長213センチ、体重146.8キロという史上最長身、最重量のボクサーで、チャガエフとの試合で敗れ、プロデビュー後の連勝記録は46で止まった。
プロの連勝記録には、ラリー・ホームズの48連勝、ロッキー・マルシアノの49連勝があり、あと少しだった。
その後、チャガエフはアキレス腱をケガ、王座にいながら休養中となり、現在は、WBA世界ヘビー級暫定王座決定戦に勝ったニコライ・ワルーエフが暫定王座にある。

ウラジミール・クリチコ
今年の7月12日、ハンブルクでの世界へビー級タイトルマッチWBO・IBF統一王者ウラジミール・クリチコ(ウクライナ)は11R、強烈な右ストレートを放ち挑戦者トニー・トンプソン(アメリカ)に打ち勝った。
クリチコはアトランタ五輪の スーパーヘビー級金メダリストである。
若干20歳で金メダルを獲得後は即プロ入りし、WBCインターナショナルヘビー級タイトルを獲得した。
ソ連の崩壊後、優秀なボクサーは続々と西側に流出、アメリカやドイツを拠点にプロの王者を目指している。
クリチコは現在32才ながらWBO・IBF統一王座を守っている。

WBCのヘビー級チャンピオンはサミュエル・ピーター。
2000年にシドニー五輪スーパーヘビー級に、ナイジェリアの代表として出場したが、準々決勝敗退した。
10月11日にこのピーターに挑むのが、ビタリ・クリチコ37歳。
ウラジミール・クリチコの兄であり、元WBCヘビー級チャンピオンである。

*プロボクシングの団体
WBA 世界ボクシング協会
WBC 世界ボクシング評議会
IBF 国際ボクシング連盟
WBO 世界ボクシング機構


(追記)
【10月12日 AFP】ボクシング、WBC世界ヘビー級タイトルマッチ12回戦。挑戦者のビタリ・クリチコ(Vitali Klitschko、ウクライナ)は、王者のサミュエル・ピーター(Samuel Peter、ナイジェリア)と対戦。クリチコは8ラウンドにTKO勝ちを収め、同王座を獲得し復帰戦を勝利で飾った。

練習中の右ひざを負傷し一時は引退を表明したビタリ・クリチコは、2004年12月以来となる4年ぶりの復帰戦で同王座に返り咲いた。勝利により弟のウラディミール・クリチコ(Wladimir Klitschko)が保持するWBO/IBF/IBO世界ヘビー級のタイトルと合わせ、ビタリ・クリチコとウラディミール・クリチコは兄弟で同級のメジャータイトルを完全制覇した。

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Comments

フェリックス・サボンはのちにプロで世界王者になる選手をアマチュア時代にたくさん黒星を付けているのでプロ入りしてたら現代のヘビー級の歴史が変わっている可能性は高いと思います。
もう一人キューバのヘビー級のボクサーでプロ入りしてたら歴史が大きく変わっていた選手は間違いなくテオフィロ・ステベンソンだと思います。
ミュンヘン、モントリオール、モスクワで五輪3連覇を達成。
身長197cmで体重が100㎏の恵まれた体格から放つ右クロスは凄まじく、モントリオールの決勝では3回に右ストレートがクリーンヒットした瞬間に相手のセコンドがタオルを投げたそうです。
ジョージ・フォアマン曰く「私はメキシコ五輪で優勝したが彼のような強い選手とは対戦したことがなかった」と言わしめたほどです。
またミュンヘン五輪後に200万ドルでプロ入りを勧誘された逸話もあります。(もちろん拒否)
しかもこの時代のアマはヘッドギアが無い時代でしたのでプロでの順応性は高いと思うし、スタミナ面を強化して経験を積ませたら確実にプロの世界でも頂点を狙えたはずです。
ステベンソンが活躍した時代はアリ、フォアマン、フレージャー、ケン・ノートンたちが活躍した時代と同時期だったのでプロ入りしてたら・・・
今となっては夢の話なのが残念です。

Posted by: 中東の太鼓 | October 17, 2008 at 01:49 AM

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