これまでの IOCの視察団を迎えたときのエピソード
2016年夏季五輪招致で、IOC評価委が東京を視察する際に開催される公式夕食会が、迎賓館を会場に開かれることが関係者の話で明らかになった。
立候補都市が期間中に1度だけ開催できる公式夕食会は、18日に麻生首相の主催で予定されている。
迎賓館の使用は原則として国賓や公賓に限られているが、都など招致関係者は国を挙げて五輪招致を支援する姿勢を示すため、評価委に対しても国賓クラスの接待を求めていた。
1964年東京五輪招致の場合
これを聞いて1964年の東京五輪招致のときの興味深いエピソードを思い出した。
当時のIOCの会長は強固なアマチュアリズムを説くアヴェリー・ブランデージ氏。
会長を始めとするIOC委員一行が来日し、三井グループの迎賓館、綱町三井倶楽部に招待された。
「日本にはワインもない」と、文化度の低い日本での五輪開催に反対する一部のIOC委員を前に、ブランデージ氏は47年もののワイン「シャトー・ド・イケム」をオーダーした。
三井倶楽部側がその注文にみごと応えてみせると、ブランデージ氏はこれを高く掲げ、「東京に決めた」と宣言した、と言われている。
もう50年も前の話なので、かなり誇張された部分もありそうだが、面白いはなしだ。
森氏の活躍も空振りに終わった2008年大阪五輪招致の場合
2008年の夏季五輪招致を大阪市が目指していたときは、大阪国際会議場(リーガロイヤルホテル大阪)が夕食会の会場となった。
当時の首相はあの森喜朗氏。
当初、参加しない方針だったが、国会の合間に急遽大阪にやって来た。
森氏は用意した原稿通りに挨拶を始めたが、最後にいきなり締めていたネクタイを手にとってIOC評価委らに示し、「今、シドニー五輪の公式ネクタイをしています。次はアテネのももらうようお願いしています。3本目は大阪五輪のネクタイを締めたいものですね」とアドリブを加えた。
これに対し、評価委のフェルブルッゲン委員長も、「持ってこられれば、よかったんですが。もうかりまっか?」と日本語でやり返した。
会場は盛り上がり、自画自賛の得意な森氏は、「日本政府の意気込みを示せた」と意気揚々だった。
が、2008年五輪開催は、「初めに北京在りき」のIOCの筋書き通りに進み、大阪はイスタンブールにも負ける最下位で敗退するのであった。
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