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July 06, 2009

五輪招致の記憶(2) ソフィア リレハンメルに敗れる

1994年の冬季五輪の開催地を決めるに当たっては、日本も大きな関心を寄せていた。
というのも次回1998年の冬季大会に長野が立候補をしており、94年大会の招致に失敗した都市が、そのまま98年大会にも立候補すると見られていたからだ。

立候補していたのは ソフィア(ブルガリア)、リレハンメル(ノルウェー)、エステルスンド(スウェーデン)、アンカレジ(米)の4都市。いずれも92年大会にも立候補し再度の挑戦だった。

1992年まで、夏冬の五輪は同じ年に開催されてきたが、これ以降冬季大会は夏季大会の中間年に開催されることに決まっており、1994年がその最初にあたった。

当時の時代背景を見てみよう。
このときのIOC総会は、1988年ソウル五輪の開幕前に開かれた。
ご存知のように、1984年のロサンゼルス五輪にソビエトを中心とした東欧諸国はモスクワ五輪の報復ボイコットをしている。
そして、この当時の韓国は一切の東側との国交を持っていなかった。
そのため、ソビエト、東欧諸国は、ソウル五輪もボイコットするのではないかとも見られていた。

ところが、キューバ、北朝鮮などの不参加はあったものの、多くの社会主義国の選手団がソウルにやって来た。
実は、彼らのソウル五輪参加とソフィアの冬季五輪招致が密かに結びついていたのだ。

ソフィアは、半径20キロ以内にすべての施設がある利便性に加え、ユニバーシアード開催3度など数多くの国際大会を開いた実績があった。
東欧諸国連合と組んで有利に招致運動を展開し、最有力候補となっていた。

ところが、落とし穴があった。
ソフィア招致委はこういったことを高らかに言い出した。
「今回ソウルに、ソ連以下の参加が実現したのは、我々の働きかけによるものだ。その見返りに、東欧圏での冬季五輪、ソフィアに一票を…」と。
ところが、ときはまだ冷戦下、余りに生臭い政治キャンペーンは、反発を買ったのだ。
大本命だったソフィアは1回目の投票で17票しか獲れずに落選、開催の栄誉は、ノルウェーのリレハンメルに輝いた。

リレハンメルの売りは、コンパクトな開催。
招致活動でも各会議や競技大会に役員を派遣してアピールするなど、早くから熱心に取り組み、冬季競技関係者やIOC委員の心をしっかりとつかんでいた。
IOC総会には、女性首相であるブルントラント首相自らが乗り込んで、英語とフランス語でプレゼンテーションを行い、人口僅か2万2000人のまちに五輪を導いた。
今思えば、首相、大統領クラスの招致演説の走りだったのではないだろか。

この当時、筆者はたまたまアラスカ・アンカレジにいた。
アンカレジ空港は、ソウル五輪に向かう選手団であふれかえっていたのとは対照的に、町中は五輪招致失敗の重い空気に包まれ、ゴーストタウンのようだった。
そして Anchorage 1994 と書かれたポスターが手書きで Anchorage 1998に直されていたことを覚えている。
が、この後アンカレジは五輪招致に立候補していない。

1994年冬季五輪開催地投票結果

1回目

2回目

3回目

リレハンメル

25

30

45

エステルスンド

19

33

39

アンカレジ

23

22

ソフィア

17


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Comments

東京はナイジェリアでプレゼンテーションを行いました。アフリカは立候補都市が無く、票の流れが恐いですが、このアフリカ票は東京にはどう動いてくるのか気になります。
また、一回目の投票を通過するには最低でも25票は必須条件だと思いますが、東京はこの票を集められるかも気になります。

Posted by: 石井 | July 07, 2009 10:54 PM

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