新・五輪招致の記憶(番外編) 2006年世界バスケットの場合
2010年の世界選手権の出場権を懸けたバスケットボール男子のアジア選手権は12日、 中国の天津で2次リーグを行い、E組の日本は台湾に79-99で完敗し、同組5位となり準々決勝進出を逃した。
日本は今大会の上位3チームが獲得する世界選手権出場権を逃すとともに、9~12位決定予備戦に回り、北京五輪予選だった2007年徳島大会の8位を下回るアジア選手権の史上最低成績となることが確定した。
覚えているだろうか。
2006年にFIBAバスケットボール世界選手権(男子)が、開催されたのはさいたま市である。
日本代表は予選D組でパナマに勝っただけの1勝5敗、決勝トーナメント進出できず、24か国中20位に終わった。
斎藤―田中に沸いた甲子園の高校野球 駒大苫小牧対早稲田実業 が同時期に行われ、視聴率も芳しくなかった。
この世界バスケが、なぜ2006年開催だったのか、あまり知られていない。
元々、日本バスケットボール協会が男子の世界選手権を招致しようとしていたのは2002年大会。
1995年の福岡ユニバーシアード準優勝、1998年の世界バスケット出場など、90年代後半の男子日本代表の活躍はめざましかった。
折からのバスケットブームもあり、また、2000年3月だった、さいたまスーパーアリーナ竣工の日程もうまく合った。
2002年大会に立候補していたのはさいたま市とインディアナポリス。
開催地は1997年、FIBAの理事会で20名の理事による投票によって決められた。
このとき、日本はシドニー五輪に出場する気でいたし、今さらバスケットの盛んなアメリカで開催するよりも、アジアでの普及のために…という空気が流れていた。
ところが、結果は10対10。
同数の場合はFIBA会長の裁量で開催地が決定されることになっており、アメリカ人の会長(名前が思い出せない)はインディアナポリスを選んだ。
2002年女子の世界選手権が中国南京に決定していたこともあり、男女ともアジア開催にならないように、インディアナポリスを選んだということを会長は話した。
そして、次のように付け加えた。
「ただし、日本が、2006年大会に立候補するのなら、FIBAは優先的に日本開催を支持する」と。
これに対し日本協会は一端帰国し、即答は避けたもののFIBAの案を受け入れ、2006年世界バスケット日本開催が決まったのである。
2002年大会はユーゴスラビア(現セルビア)がアルゼンチンを下し優勝。
地元アメリカが弱く、見事ながらがらだったと記憶している。
日本は2002年招致に失敗したものの、FIBAは日本のプライドを立て、かつ、日本の経済規模の大きさを考慮したマーケット上の戦略があったことは間違いない。
2006年の世界バスケに話を戻すと、日本代表が敗退したものの、決勝トーナメントに入ると悪くとも8000人、アメリカが登場すると1万5000人を超える観客が詰め掛け、合計の観客動員は、見込んでいた入場料収支を上回ることになった。
日本人の特性として、こういったことが言えるのではないか。
①高度に発達したメディアの影響で競技を見る目が肥えている
②日本以外の国に対しても熱心に応援ができる
2002年のW杯のときも、イングランド代表チームは
「海外としては信じられない歓待を受けた」
クロアチア代表チームは
「様々なところに行って良くしてもらったが、(キャンプ地の)十日町以上のところはあり得ない」
など絶賛されている。
2016年夏季五輪東京招致に向けて、こうした日本人の特性を大きくアピールすることも、招致に向けてプラスになるのではないだろうか。
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