2001年 大阪五輪招致プレゼンテーション
今から8年前の2001年、大阪市は2008年五輪招致に挑み、北京に完敗した。
この大阪招致団からは、下記のような人たちがIOC総会(シンガポール)でのプレゼンに参加した。
既に故人になられた方もいる。
劣勢が伝えられていた大阪だったが、プレゼンの内容は電通に製作を委託、まずますの内容だったと伝えられている。
磯村隆文 大阪市長(当時)・招致委員会会長
八木佑四郎 JOC会長(当時)
遠山敦子 文部科学大臣(当時)
竹田恒和 JOC常務理事(現会長)
小谷実可子 OCA選手委員会委員長(当時)
梁美沙 大阪在住の中3バイオリニスト
小泉純一郎 (ビデオ)首相(当時)
中でも、梁美沙さんのスピーチは強いインパクトを与えたようだ。
こんな内容だった。
私は14歳、中学校に通っています。
オリンピックは大好きです。
オリンピックを見ていて、スポーツ選手と音楽家には多くの共通点があると思います。
ただ一度のパフォーマンスのために、長い時間、また何度も練習しなければいけません。
音楽とスポーツはその意味で似ていると思います。
私は、大阪生まれで大阪育ちの韓国人です。
シドニーで、南北朝鮮の選手団が一つのチームとしてスタジアムに入場行進しました。
とても感激しました。
スポーツの力を気づかせてくれました。
オリンピックは本当に平和の架け橋だと強く感じました。
2008年には、私は21歳です。
もし大阪にオリンピックが来たら、開会式でオリンピック賛歌を再び演奏することが、私の夢です。
大阪はフレンドリーなまち、「ココロ」です。
私は私のホームタウン、大阪が大好きです。
是非大阪でオリンピックを開催してください。
ありがとう。
スピーチの前に、梁美沙さんはバイオリンで一曲弾いた。
「オリンピック賛歌」だ。
中学生によるバイオリンの演奏が、高いインパクトをもたらすと同時に、在日韓国人の彼女の姿を通して、決して単一民族国家でない日本をも表現したのだ。
海外からも有名選手が、ビデオで協力。
モーリス・グリーン、スティシー・ドラギラ(ともにアメリカ・陸上)の両選手が登場し、大阪の競技会の運営能力の高さをアピールした。
もし仮に、今回の東京招致でも、外国人が日本の競技運営能力や日本の魅力を伝えるというなら、北京五輪マラソン金メダルのサムエル・ワンジル(ケニヤ)がいい。
仙台育英高校に留学していた日本人育ち。
流暢な日本語のスピーチはIOC委員を驚かせるに違いない。
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