冬季五輪の記憶(4) 初めて女子フィギュアでメダルを獲った日本人選手
1972 Sapporo
1976 Innsbruck
1980 LakePlacid
1984 Sarajevo
1988 Calgary
1992 Albertville
Q.世界フィギュアスケート選手権で日本人で初めてメダルを獲得した選手といえばだれでしょう。
1.渡部絵美
2.伊藤みどり
3.佐藤有香
渡部絵美さんといっても若い人は現役時代のことを知らず、元フィギュアスケート選手のタレント、くらいにしか見られていないだろう。
1972年から1979年まで全日本選手権では8連覇。
1979年の世界フィギュアでは日本人女子として初めて銅メダルを獲得した実績を持つ。
(1997年東京開催の世界フィギュアでの佐野稔氏の銅メダルが、男女を含めての最初のメダル)
日本人の父親とフィリピン人の母親を持ち、高校はアメリカ、大学は上智大学比較文化学部(当時)に進学(後に専修大に編入)した、バイリンガルというよりも英語の方が、得意な選手だった。
当時の冬季五輪は、夏季五輪と同じ年に開催され、冬季五輪が閉幕すると夏季五輪が話題になった、そんな時代だった。
札幌五輪のジャンプでメダル独占した日本だったが、76年インスブルック五輪ではメダルはおろか入賞者ゼロ。
冬季五輪は、メダル候補がひとりいるかどうか、というのが日本選手団の常だった。
渡部絵美が気の毒だったのは、レークプラシッド五輪の前年、79年のウィーンで開催された世界選手権で銅メダルを獲得したこと。
一躍数少ないメダル候補としてマスコミの注目に晒されたことだ。
レークプラシッド五輪、女子は3回転ジャンプの幕開けともいえる大会だった。
当時まだあった規定演技でペッチ、フラチアニ、ルルツに次いで4位。
SPでは4位を確保はしたものの上位との左は大きく広がった。
フリー演技はNHKも生中継した。(レークプラシッド五輪では、北海道を除いて八木弘和が銀メダルを獲った70m級ジャンプも生中継はしていない。)
渡部は、トリプルサルコを決め、でき得る最高の演技をした。
が、ペッチ、ルルツ、フラチアニの上位選手が後から演技をし、抜かれていく。
最終演技者はスイスの新鋭のデニス・ビールマン。
今もビールマンスピンに名前を残すビールマンが4位に滑り込み、渡部は6位に終わった。
その後日本のフィギュア界は、88年、天才と呼ばれた伊藤みどりが女子で初めてのトリプルアクセルを成功させ、世界のトップに躍り出た。
89年のパリの世界選手権で優勝。
ヨーロッパの記者は「日本人選手がヨーロッパで開催された世界選手権で金メダルを獲ったことは非常に異議深い」と称えた。
伊藤は92年アルベールビル五輪で日系米国人クリスティ・ヤマグチに敗れはしたものの、銀メダルを獲得。
日本フィギュア界の悲願を達成するのである。
●1980レークプラシッド五輪女子フィギュアスケート
規定演技 1.ペッチ(東独) 2.ルルツ(西独) 3.フラチアニ(米) 4.渡部絵美
SP終了時 1.ペッチ 2.ルルツ 3.フラチアニ 4.渡部絵美
フリー終了 1.ペッチ 2.ルルツ 3.フラチアニ 4.ビールマン 5.アレン(米) 6渡部絵美
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