« ロバとツル  | Main | 朝日新聞の都知事インタビューを読んで »

November 04, 2009

過去に「平和五輪」を掲げて立候補した都市はどうなったか

東京が2016年夏季五輪招致に失敗してすぐ、広島市と長崎市による平和五輪構想が持ち上がった。
被爆都市である両市による五輪開催、崇高な理念ではあるが、果たして実現は可能だろうか。

「平和」を標榜した五輪構想は、何も広島・長崎に限ったことではない。
過去にどんな都市が平和五輪を掲げただろうか。

2008年 ベルリン五輪構想
東西冷戦時代、ドイツ同様に、その首都だったベルリンも東西に分割されていたことはご承知だろう。
東西を隔てていた壁は、1989年11月9日、東ドイツ政府により東西ベルリンの境界線が解放され、崩壊した。
1990年10月3日に東西ドイツが統一し、1991年にはベルリンが東西統一ドイツの首都と定められた。
ベルリンの統一を記念して、同市で1936年以来の五輪を平和裏に開催をしようという動きは当然の流れだったかもしれない。
ただ、欧州においてナチス政権下に行われたベルリン五輪の記憶は、60余年経っても生々しく、好ましく思われていなかったのはドイツにとっての誤算である。

そのため、ベルリン招致に向けて多額の資金が投入された。
主に税金を財源とし、8600万マルク(約63億円)が使われたとされている。
IOC委員を招いての連日のパーティーやゴルフツアー、人間ドックまでが接待に使われた。
この時代はIOCスキャンダルの発覚する前であり、同様のことはどの立候補都市でもやっていたことは事実であるが。
そして開催地を決める1993年モナコで開かれたIOC総会は、シドニーと北京が壮絶な争いを展開した一方、ベルリンはわずか9票しか得られず、見事に惨敗した。
IOC総会後、ベルリンの招致に際し広告宣伝費とされた額に、使途不明金が出るなどスキャンダルが続出した。
べルリン市議会は1995年になって使途不明金の調査に乗り出したが、接待内容を示す書類の大半はなくなっていた。
まるで、20億円を超す招致書類の帳簿が焼却された長野と同様の状況にあったのである。

2012年 ライプチヒ五輪構想
ドイツ国内で、1972年のミュンヘン五輪から40年目にあたる2012年の夏季五輪を招致しようという動きになった。
ドイツ五輪委員会(NOK)は、ドイツ国内で立候補を表明したデュッセルドルフ、フランクフルト、ハンブルク、ライプチヒ、シュトゥットガルトの5都市の中から、投票によっ立候補都市を選出した。
各都市に与えられた15分間のプレゼンテーションを聞き、NOKはもちろん、ドイツスポーツ連盟会長、各競技連盟会長、五輪メダリスト等を始めとしたスポーツ関連に携わる投票権を持った137名が投票し、決まった立候補都市はライプチヒであった。

ライプチヒは、旧東ドイツに位置し、東西ドイツが統一する契機となった市民デモが起きた街だ。
冷戦終結の生誕地である意義を盛り込んだ「平和五輪構想」を存分に計画に盛り込み、2012年夏季五輪に挑んだが、同じ欧州からロンドン、パリ、マドリード、モスクワといった各国の大首都も立候補した。
そのため、人口僅かに50万。ホテルが不足し、競技会場の後利用が懸念されたライプチヒは1次の書類選考で落選してしまった。

2010年 平昌冬季五輪構想
冬季五輪招致にも「平和五輪」構想を掲げて立候補したまちがある。
韓国の平昌だ。
2010年の冬季五輪を目指した平昌は、ウィンタースポーツの世界では、全く無名だった。
が、IOC総会でのプレゼンは抜群に質が高く、さらに南北分断問題に絡めて、
「平昌を擁する江原道は、朝鮮半島で唯一南北に断された道。南北の鉄条網を取り去るのが夢」
と息子と生き別れになった老母に焦点を当てた招致PRビデオは、IOC委員の感動を誘った。

そのため、15票程度と見られていた平昌の最初の投票で獲得した票は、最終的に開催地に決まったバンクーバー(40票)を上回る51票。
韓国の招致活動の旨さも然ることながら、PRビデオだけでIOC委員の10票は平昌に寝返ったと言われた。

平昌は続く2014年冬季五輪招致でもソチに惜敗。
2018年冬季五輪に向けて3度目の立候補をしている。

広島・長崎は理念は素晴らしいが、ホテルの絶対的不足、インフラ整備ができたとしても、五輪招致は生易しくない。
JOCの世界のスポーツ界での発言力・影響力を高くし、日本の顔となる人物(できればIOC関係者)が世界中を飛び回ることが出来なければ、勝ち目はない。
もちろん、高い市民の支持率はいうまでもない。

|

« ロバとツル  | Main | 朝日新聞の都知事インタビューを読んで »

Comments

今更ですが、東京はなぜ16年に立候補してしまったんだ...。
と最近つくづく思います。JOCも最初は20年を目指すと言っていたのに...。
ところで、IOCのトーマス・バッハ副会長は、次期会長候補の1人と聞きましたが、それほど力のある人なんでしょうか。

Posted by: 石井 | November 04, 2009 at 11:55 PM

2000年に猪谷氏とバッハ氏がIOC副会長の座を賭けて、争ったことがあります。
結果は32票対64票でバッハ氏の圧勝でした。
IOCはもともと欧州の強い組織です。
今回のシカゴの惨敗ぶりを見てもIOCの中心が、米国から欧州に戻ってきていることを感じます。
バッハ氏は、76年のフェンシングの金メダリストで、現在50代半ば。2013年のIOC総会で、ミュンヘンの冬季五輪招致を成功させ、その勢いでIOC会長の座も手に入れようとの野望がありそうです。

なぜ東京が2016年に立候補したかは、また日を改めて書きます。

Posted by: 管理人 | November 05, 2009 at 09:38 PM

The comments to this entry are closed.

« ロバとツル  | Main | 朝日新聞の都知事インタビューを読んで »