皆川・上村 夫婦で4度目の五輪へ でも海外にはもっと凄い夫婦がいる
トリノ五輪アルペン回転で、4位入賞を果たした皆川賢太郎。
昨年、フリースタイルモーグルの上村愛子と結婚したことはご承知だろう。
トリノ五輪の回転では、エース佐々木明が棄権に終わったものの、皆川賢太郎が4位、湯浅明が7位、銀メダルを獲った猪谷千春さん(1956年)以来のアルペン入賞を果たした。
が、その後回転トリオは精彩を欠く。
皆川は大怪我をし、佐々木はなかなか本来の滑りには遠く、湯浅も含めて3人とも所属が変わるなど、競技力だけでなく、日本のスキー界のおかれている環境は厳しい。
そんな中、皆川は上村愛子と結婚、スキー界のスター選手同士は、ともにバンクーバーを目指すことになった。
だが、バンクーバー回転での日本人の枠は2。
五輪前最後の回転W杯である、ウェンゲンでの回転の第5戦で、皆川が20位、25位だった湯浅を辛うじて抑えて4回目の五輪出場、しかも夫婦揃っての出場を決めた。
日本でも夫婦そろって五輪に出場した例はいくつかある。
同一五輪に、異なる競技に出場し、どちらもメダルを獲得したのは、アテネ五輪柔道の谷亮子、野球の谷佳知夫妻。
谷亮子の金メダルの試合に谷が見に来ていたのを覚えている人も多いのではないか。
一方、夫婦で同一五輪に出場し、同一競技でともにメダルを獲得した夫婦がいる。
東京五輪の小野喬・清子夫妻だ。
「鬼に金棒、小野に鉄棒」といわれた小野喬氏は、東京教育大3年で52年ヘルシンキ五輪に出場、次の56年メルボルンの鉄棒で日本体操界初の金メダリストとなった。
58年に結婚し60年ローマも出場、33歳、4大会連続出場となる東京五輪では選手宣誓の大役も務め、怪我に苦しみながらも団体金メダルに貢献した。
小野清子さんは東京五輪時に既に子供2人を出産していた。
体操界初のママさん選手だった。(ママさん五輪選手にはほかに広中みゆきさんがいる)
ローマ五輪に続いて出場した東京五輪では団体銅メダルを獲った。
冬季五輪の夫婦同時出場となると、1964年インスブルック大会スピードスケートの長久保文雄・初枝夫妻、2002年ソルトレークシティ大会バイアスロンの菅恭司、弘美夫妻に次いで3組目となる。
一方、海外にはこんな例もある。
ソルトレークシティ五輪、バイアスロンに出場したポワレ夫妻は夫がフランス代表、妻はノルウェー代表という異色の夫婦だった。
2人は、ジュニア時代の1992年、競技を通じて知り合ったという。そして2000年5月の結婚の3カ月前、世界選手権で同じ日に優勝。その後、フランスに拠点を置きながら練習、生活のパートナーとして欠くことのできない存在となった。
ソルトレークシティで、妻は15キロで銀メダルを獲得し、夫も12.5キロ追い抜きでこちらも銀メダルを獲得。
夫婦が異なった国の代表となり、ともにメダル獲得したのは五輪史上初の快挙となった。
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