« 冬季オリンピックで最もメダルを獲っている国はどこだ? | Main | スピードスケート500m金メダルタイムの推移 »

January 07, 2010

ジャンプ週間と五輪メダルの相関関係

Four Hills Tournament

「欧州ジャンプ週間」というスキージャンプのシリーズをご存知だろうか。
年末年始の1週間にドイツとオーストリアで4戦して「世界最強のジャンパー」を決めるシリーズである。

今季のジャンプ週間は第1、4戦を制したコフラー(オーストリア)が合計得点1027・2点で総合優勝。
2位はフィンランドのアホネン、3位はウォルフガング・ロイツル(オーストリア)だった。

ジャンプ週間は、W杯創設前から開催されている伝統を誇るジャンプの大会で、既に半世紀以上に渡って行われている。
欧州の選手、観客にとってはシーズン最高のイベントであり、1週間で20万人を超える観客を集め、五輪とはまた別の「最高のステータス」を持つ。
毎年行われているこのシリーズは、特に五輪の年には五輪本番のメダル争いを占う前哨戦となっている。
1953年1月、ドイツとオーストリアの対抗戦から始まったこのシリーズは、全4戦行い、4戦の総合得点で優勝者が決まる。
第2回大会(53~54年)から、年末年始を挟んで行うようになり、79 ~80年大会からは、各4戦がW杯を兼ねるようになった。

五輪シーズンのジャンプ週間の総合優勝者は13人いるが、うち8人がメダルを獲得。
金メダリストは6人いる。
特に76年インスブルック五輪から98年長野五輪まではジャンプ週間の王者が7大会連続でメダルを獲得している。

日本人選手で最初にジャンプ週間に名前を刻んだのは、もちろん札幌五輪の金メダリスト笠谷幸生さんだ。
札幌五輪を28歳という円熟期に迎えた笠谷は、71年~72年のジャンプ週間に3勝を挙げるという離れ業をやってのけた。
史上初の4戦4勝に欧州中が期待する中、笠谷は、「札幌五輪のための調整」を理由にあっさりと帰国。
4戦目のビショップホーヘンを飛ばなかった。
3戦のみでの帰国は当初の予定通りだったそうだが、SAJ(全日本スキー連盟)や笠谷さん自身のジャンプ週間に対する認識は現在とはかなり異なっていたことが予想される。
笠谷帰国後のジャンプ週間はノルウェーのモルクが総合優勝となるが、モルクは札幌五輪でメダルに届くことはなかった。
一方、ご存知のように笠谷は、70m級(現NH)で金メダル。
日本勢日の丸飛行隊によるメダル独占はあまりにも有名だが、90m級は7位に終わっている。
笠谷がビショップホーヘンを飛ばないで帰国したことは、欧州の人からは理解できないことで、「ジャンプの神様が、日本人ジャンパーは、ビショップホーヘンでは永久に勝つことができなくするぞ」と欧州中で言われたという。

83~84年のバイスフロク(東ドイツ)はサラエボ五輪でメダル3個、87~88年のニッカネン(フィンランド)はカルガリー五輪でメダル3個、91~92年ニエミネン(フィンランド)はアルベールビル五輪でメダル3個、93~94年ブレデセン(ノルウェー)はリレハンメル五輪でメダル2個。
バイスフロク以降、ジャンプ週間の優勝者は必ず、五輪の金メダルに絡んできた。
そして、97~98年のシーズン、長野五輪直前のジャンプ週間に船木和喜が登場するのだ。

●Come Back 97-98 欧州ジャンプ週間 (当時はHSはなし)
第1戦 12/29 オーベルストドルフ(ドイツ) K-115
①.船木和喜 ②.斎藤浩哉 ③.A.ニッコラ(フィンランド)
第2戦 1/ 1 ガルミッシュ・パルテンキルヘン(ドイツ) K-115
①.船木和喜 ②.原田雅彦 ③.斎藤浩哉
第3戦 1/4インスブルック(オーストリア) K-110
①.船木和喜 ②.S・ハンナバルト(ドイツ) ③.J・アホネン(フィンランド)
遠く日本からやってきた船木和喜がジャンプ週間3戦3勝、史上初の4勝なるか、と欧州中の注目を浴びて第4戦ビショフスホーフェンを迎えた。

8位 
この台は傾斜が緩く、体重の少ない日本人には不向きとされるが、それよりもやはりジャンプの神様が、船木に勝たせないように仕向けたのだろうか。

第4戦 1/ 6 ビショフスホーフェン(オーストリア) K-120
①.S・ハンナバルト(ドイツ) ②. H・イェックル(ドイツ) ③. J・アホネン(フィンランド)

それでも
◆総合成績 ①.船木和喜  ②.スベン・ハンナバルト(ドイツ) ③.ヤンネ・アホネン(フィンランド)
船木は、ジャンプ週間の王者の称号を持って帰国、長野五輪を迎え、その活躍は知られるところだ。

ジャンプ週間4戦4勝は、2001~02年のシーズンにドイツのハンナバルトによって達成された。
ところが、ここから五輪に向けてハンナバルトはものすごい重圧と戦わなくてはならなくなった。
ソルトレークシティ五輪本番ではアマンに足元をすくわれ、個人の金メダルは獲れず、団体金のみに終わった。
ジャンプ週間の優勝者の五輪での活躍振りをまとめてみた。

●ジャンプ週間王者の五輪の結果 NH LH 団体は五輪の順位 2006年は2人優勝

年・大会名

総合優勝

NH

LH

団体

1972年札幌

モルク (NOR

4

28

 

笠谷幸生3

7

1976年インスブルック

ダンネンベルグ(東独)

4

 

*インナウアー(AUT3

7

1980年レークプラシッド

ノイパー2勝(AUT

5

1984年サラエボ

バイスフロク3勝(東独)

1988年カルガリー

ニッカネン3勝(FIN

1992年アルベールビル

ニエミネン3勝(FIN

1994年リレハンメル

ブレデセン2勝(NOR

4

1998年長野

船木和喜3

2002年ソルトレークシティ

ハンナバルト4勝(GER

4

2006年トリノ

アホネン1勝(NOR

6

9

 

ヤンダ1勝(CZE

13

10

9

2010年バンクーバー

コフラー2勝(AUT

72年の笠谷、76年のインナウアーは3勝挙げたが優勝していない

●オリンピックプラスの電子書籍 346円で発売中
冬季オリンピック 栄光と挫折の物語
Pyousi_2

|

« 冬季オリンピックで最もメダルを獲っている国はどこだ? | Main | スピードスケート500m金メダルタイムの推移 »

Comments

The comments to this entry are closed.