« ジャンプ団体メダル届かず | Main | バンクーバー五輪 ジャンプ団体5位雑感 »

February 22, 2010

ロシェットがんばれ 誰も知らないロン・カーノウ選手の物語

女子フィギュアのメダル候補のひとりジョアニー・ロシェット(カナダ)の母、テレーズさんが55歳の若さで亡くなった。
ジョアニーを応援しに駆け付けたバンクーバーで心臓発作を起こして急死したという。
それでもSPを明後日に控え、ロシェットは本番会場のパシフィックコロシアムのリンクに姿を見せた。
公式練習をキャンセルせず、少し遅れてリンクに入ると右手で瞳をぬぐい、気丈に滑った。

こうした話を聞くと思い出す話がある。
誰も知らないロン・カーノウ選手の物語だ。

五輪の舞台が、残酷な場合もある。

1992年バルセロナ五輪、アメリカのロン・カーノウは競泳200m個人メドレーの優勝候補だった。
自由形、背泳、平泳ぎ、バタフライの4種類の泳法に挑んでいるときこそ、彼の人生で最も充実した時間だった。

カーノウの父親のピーターは、息子の活躍を見るために大西洋を渡ってバルセロナに来ていた。
もちろん、お祭り好きなアメリカ人だから開会式に間に合うようにスペインに着いた。
開会式でスタジアムを歩く息子の写真を撮るために、スタジアムの階段を登ったときに、61歳のピーターの心臓は、致命的な発作を受け、そして停まってしまった。

こんな悲劇にもかかわらず、カーノウは4日後の200m個人メドレーを棄権することはなかった。
予選を全体の2位で突破、しかし決勝に進出するも6位に終わった。
優勝したのはハンガリーのタマス・ダルニュイ。
1988年ソウル・92年バルセロナ両五輪の200m・400mの個人メドレーをともに制した競泳史に残る大スイマーだ。

『なぜオリンピック中だったんだ、なぜ開会式の最中だったんだ』
ロン・カーノウは、偶然訪れた父の最期が、なぜ開会式の最中だったのか、自らに問いただしてみたが、答えは得られなかった。
『父親が開会式で倒れ亡くならなかったら、俺はダルニュイに勝てたのか?』
答えは出るはずがない。

薬剤師をしていたカーノウは、ニューヨーク・ヤンキースのジョージ・スタインブレナーオーナーからの奨学金を受け、ニュージャージー医科歯科大学に入学、そして1997年に卒業した。
 
ところが、彼はやり残したことがあると言い出し、整形外科の卒後研修を延期した。
そう、再び五輪の舞台に立とうとしていたのだ。
博士号を持った31歳が、今更プールに立つ?
彼の周囲は、彼の決定を愚かだと言った。

1998年 オーストラリアのパースで行われた世界水泳選手権、イアン・ソープの15歳での世界デビューとなる大会にカーノウは出場した。
200m個人メドレーでは3位になった。
が、カーノウが目指していた2000年のシドニー五輪は、全米代表選考会で敗れ、再びオーストラリアの地を踏むことは出来なかった。


この後、カーノウがどんな人生を歩んでいったかは、筆者もよくは知らない。
が、水泳をやめることはなく、マスターズの大会などに出場し、そして医師としても活躍していると聞いている。


五輪のレース直前に、姉を白血病で亡くしたダン・ジャンセンは、それから6年かかったが金メダルを獲った。
女子フィギュアでは、日本の3人とともにジョアニー・ロシェットを応援したいと思う。
 
 
 
 
●オリンピックプラスの電子書籍 346円で発売中
冬季オリンピック 栄光と挫折の物語
Pyousi_2



|

« ジャンプ団体メダル届かず | Main | バンクーバー五輪 ジャンプ団体5位雑感 »

Comments

The comments to this entry are closed.