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April 22, 2010

アントニオ・サマランチIOC前会長逝く

アントニオ・サマランチIOC前会長が亡くなった。
89歳だった。
昨年10月の2016年夏季五輪開催都市を決めるIOC総会に姿を見せ、マドリード開催支持を訴えたのが最後になった。

結果、マドリードはリオデジャネイロに敗れ招致はならなかったが、前会長の五輪運動における功罪は半々といったところだろうか。
誰も引き取り手のなかった五輪を「金のなる木」にした功績は余りに大きいが、肥大化、商業化、オープン化も現時点では行き過ぎだろう。

こんなことがあった。
まだ冬季・夏季五輪が同年に開催されていた1992年の五輪招致。
サマランチ氏は、自身の故郷であるバルセロナに夏季五輪をどうしても持ってきたかった。

そのためこんな作戦に出た。
フランスは、これより以前から冬季五輪にアルベールビルが立候補を表明し、有力候補となっていた。

モスクワ五輪(1980年)閉幕直後、IOC会長になったばかりのサマランチ氏は、パリに来てじきじきに頼んだ。

『モスクワ五輪はボイコットという政治の荒波に遭った。
このままでは五輪がダメになる。
五輪再生のため、過去に2回夏季五輪開催経験のあるパリが立候補してくれないか。
しかも1992年は「五輪の父」クーベルタン男爵(フランス人)がパリで近代オリンピックを提唱してから100周年にあたるので、これを祝うことはパリの義務でもある。』

したたかな戦略である。
これでは1992年は、冬季五輪アルベールビル、夏季五輪パリと両方がフランス開催になる可能性がある。
戦前の五輪は、夏季五輪開催国が優先的に冬季五輪も開催できたが、戦後同一国で両五輪を開催した例はない。

1986年ローザンヌで開催されたIOC総会では、冬季、夏季大会の順で投票された。
結果、冬季大会は、実に6回の投票でアルベールビルがソフィア、ファルンを敗り、開催地に決定。
夏季大会は、バルセロナが3回目の投票で47票、パリの23票を上回り、開催地に決まった。
予想通り、あるいは予定通り同一年・同一国で冬季・夏季両五輪の開催は決まらなかった。

もし、冬季大会がアルベールビルにならなかったら?
この「カケ」はリスクがあり過ぎ、とも思うが、サマランチ氏は事前の根回しにより、アルベールビル決定をほぼ掌握していたのだ。

かくして1992年サマランチ氏は、自身の出身地のバルセロナに夏季五輪を持ってくるに至った。
亡くなったばかりの人には失礼ながら、五輪招致にはこれくらいの狡猾さも必要ということだろう。

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