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June 23, 2010

○×クイズ かつて東西ドイツはW杯で対戦したことがある?

南アフリカW杯の話題のひとつは、南北朝鮮の同時出場だった。
結果、南北は明暗分けることになったが、かつて東西に分断されていたドイツはW杯で対戦したことがある。

人口1800万人ながら科学技術の粋を集めスポーツ強化を計った東ドイツだったが、W杯の出場は1974年の1回しかない。
その1974年のW杯開催国は西ドイツ。
東ドイツは2年前のミュンヘン五輪の銅メダルを引っ提げての出場だった。
サッカーの神様のいたずらか、抽選により1次リーグで東西ドイツが同組になった。
2戦を消化し、西ドイツは2勝、東ドイツは1勝1分け。
歴史的な対決を前に、両国とも2次リーグ進出を決めてしまった。

史上唯一の東西対決は、1972年の欧州選手権で制した西ドイツ優位かと思われたが、東ドイツは77分、シュパルワッサーが先制点。
そのまま1-0で逃げ切った。
面目をつぶされた形の西ドイツだったが、この敗戦でヨハン・クライフ率いるオランダと2次リーグで別組となり、決勝でそのオランダを倒し2度目の優勝を成し遂げた。

答え.○


大会前の話だ。
1974年大会の出場国を決める大陸間予選は、欧州第9組首位のソ連(当時)と、南米第3組1位のチリが対戦することになった。
(当時W杯出場国は16カ国、南米は2カ国+1しかなかったのだ)
ホームアンドアウエー制の第1戦、モスクワでは0-0の引き分け。
サンティアゴで予定されていた第2戦を、ソ連は突然拒否してしまった。
なぜか?

1970年に成立していたチリのアジェンデ大統領の社会主義政権が1973年9月の軍事クーデターで崩壊したことが原因だった。
ソ連は、チリでは政情不安で安全が確保できないとして、中立国での試合を望んだが、認められず、さらに試合会場のサンチアゴ国立競技場を軍事政権が政治犯の収容所に使った「血で汚れた競技場」であると主張。
チリ政府のは他会場での試合を提案も拒否し、結局失格に至った。

まだ東西冷戦華やかりし頃の話だ。
東ドイツは、ソ連の圧力で大会をボイコットするのではないかとの危惧もあったが、無事西ドイツにやって来て、事なきを得た。


ドイツが3度目のW杯優勝を果たしたのが1990年イタリア大会。
当時はまだ東西統一前で、優勝したのはあくまでも西ドイツ。
とはいえ、この年の12月に東西ドイツの統合が控えており、西ドイツが優勝を決めた7月8日は、西でも東でもドイツ統一を祝福するかのような勝利に酔いしれた
1989年11月にベルリンの壁が崩壊し、1990年にはドイツの統合。
まさに「1990年はドイツ民族の年」であった。

 

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