W杯の価値はなんだろうか 毎日新聞のコラムから考える
数日前、毎日新聞の夕刊にこんなコラムが載った。
サッカーのワールドカップ(W杯)で日本がパラグアイにPK戦で敗れた瞬間、みなさまはどんな思いを抱かれたか。正直言って私は「一番いい負け方だ」と思った。「惜しかったけど、PKは運だから。スペインかポルトガルと当たる準々決勝(実際にはスペインが勝ち上がった)で、大差で負けるよりいい」と考えた。同じ感想の人は、多いと思う。だから日本代表の面々が帰国したときにも、ファンは歓声を上げ、拍手で出迎えたのだろう。ところが、そうではない、と考える人もいる。私と同年代の女性たちに多い。「PKでは勝ってほしかった」という。PKを外した選手を非難しているわけではない。「負けるときには、すぱっと負けた方がいい。0-4でも0-5でも、PK負けよりはすっきりする」と彼女らは口をそろえる。(以下略 毎日新聞 「寝ても覚めても」より2010年7月8日 東京夕刊) |
この文章を書かれたのは毎日新聞の専門編集委員で元運動部副部長冨重圭以子さんという方だ。
いわば、スポーツジャーナリズムのプロ中のプロなのだ。
そのプロの文章にしては?が付く。
自分はパラグアイア戦後、
「スペインとガチでやれる千載一遇のチャンスを逸してしまった」
と思った。(PKを外した選手を責めている訳ではない)
W杯の価値をどう見るか、色々な考え方があると思うが、日本代表を軸に考えれば強豪国と「ガチ」の勝負ができることがまず第一ではないかと思う。
テレビでW杯を見ることは、特に子どもにとってサッカーの醍醐味、美しさを知るいい機会だ。
その中でたとえ、日本がスペインに大敗したとしても、サッカーが時に見せる残酷さ、世界のトップと日本代表との力の差の現実を見るいい機会であると思うのだ。
僕等の世代は、ドーハの悲劇を始め、ソウル五輪最終予選などを見てきた。
今大会でも北朝鮮のポルトガル戦の大敗等 サッカーは、時折残酷なことをする。
けれども、それもサッカーが世界中の人を魅了する所以ではないだろうか。
古い話になるが、1999年ナイジェリアで開催されたワールドユース。
トルシエ監督に率いられた日本は、史上初の準優勝という快挙を達成した。
しかし決勝では0-4の大敗を喫した。
そのときの相手は、スペイン。
現在のスペイン代表キャプテン イケル・カシージャスとシャビはそのときのメンバーであり、日本も遠藤保仁、稲本潤一がそのメンバーである。
あれから11年、日本がめざしてきたサッカーはスペインのようなサッカーだったはず。
エリスパークスタジアムで、日本対スペインが見たかったと思う。
1999年のワールドユースに出場した選手も30歳前後になっている。
日本が準決勝で対戦し、破ったウルグアイにはディエゴ・フォルランガいた。
ほかにもパラグアイにはロケ・サンタクルスが、イングランドにはアシュリー・コールやクラウチがいた。
●1999年Wユース出場選手で2010年W杯に出場した選手
(スペイン)
イケル・カシージャス
シャビ
(日本)
稲本潤一
遠藤保仁
(ウルグアイ)
ディエゴ・フォルラン
(ポルトガル)
シモン・サブローザ
(メキシコ)
ラファエル・マルケス
(パラグアイ)
ロケ・サンタクルス
(イングランド)
ピーター・クラウチ
アシュリー・コール
(韓国)
李東国
(ナイジェリア)
ジョセフ・ヨボ
(ガーナ)
スティーヴン・アッピア
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