追悼 アントン・ヘーシンク
1964年東京五輪の柔道無差別級金メダリスト、アントン・ヘーシンク氏が27日、故郷のオランダ・ユトレヒトの病院で死去した。
76歳。
ヘーシンクは1961年の第3回世界柔道選手権で、日本人以外の選手として初めて優勝した。
柔道が初めて五輪に採用された1964年東京五輪では、無差別級決勝で日本期待の神永昭夫を破って金メダルを獲得、日本に大きな衝撃を与えた。
9月9日から東京・日本武道館で世界柔道選手権が始まる。
この時期にヘーシンクが亡くなったのも何か因縁深い。
近年の五輪や世界選手権で用いられている青い柔道着にも、すっかり慣れた。
青い柔道着はヘーシンクが提案したものだ。
全日本選手権をはじめ、日本国内の試合においては、昔ながらの白い柔道着以外は認められていない。
カラー柔道着が正式に導入されたのは1997年だが、カラー柔道着導入には理由がある。
ひとつはテレビに対応するためだ。
1990年代は五輪種目数が肥大化していた時代で、各競技関係者は、いつ自分たちの競技が正式種目から外されるか戦々恐々としていた。
柔道も例に漏れず、生き残りにかけて策を練っていた。
その1つがカラー柔道着の導入である。
選手が組み合って戦う柔道の場合、柔道着の色が異なれば選手の判別がつきやすい。寝技になっている時などは特に効果的である。
実際、テレビ観戦者の間では「判りやすい」と好評だ。世界中の人がテレビ観戦するオリンピックにおいて、この点を活かさない手はない。
競技関係者はテレビ放映をからめ、カラー柔道着の導入をアピールした。
もうひとつは、日本発祥の柔道とワールドスポーツJUDOとが、別の競技になりつつあること。
もともと日本では柔道には体重分けは無かったが、正式種目になった東京五輪で、軽、中、重量級と無差別の級になり、現在は7階級で行われている。
また、元々は技の判定も「一本」と「技あり」だけだったのが、その後「有効」と「効果」が加えられ。
ポイント制に移行した。(北京後「効果」は廃止)。
こうして柔道がJUDOに変わっていき、ヨーロッパ勢が伝統武術であった柔道に、スポーツとしての体裁を整えていった過程の中でカラー柔道着が、導入されたのだ。
アントン・ヘーシンクは、ご存知の通り東京五輪の無差別級金メダリストである。
日本人の精神主義を知り尽くしたヘーシンクは、赤や黄、紫などでは、日本側に一蹴されると読んでいた上で、青を主張したという。
カラー柔道着の青は、青というよりも少し深い、紺に近い青だが、この色はヨーロッパでは神聖な色とされている。
日本側が、最も妥協しやすい色だ。
今のところ特に白に戻せという意見もない。
なお、試合をする2人の選手のどちらが青を着るかは、トーナメント表で、先に名前の書いてある選手が青と決められている。だから選手は必ず2種類の柔道着を用意することになる。
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