世界陸上クイズ 第1部1983年~1999年編
世界陸上に関するクイズです。
第1部は1983年のヘルシンキ大会から1999年のセビリア大会までが対象です。
問題
①第1回世界陸上は1983年にヘルシンキで開催されました。
このとき日本国内で独占放送したテレビ局はどこでしょう。
②1987年ローマで行われた第2回大会。
100m男子は、翌年のソウル五輪と同じくカール・ルイスとベン・ジョンソンの一騎打ちとなりました。結果、ジョンソンが当時の世界記録を0秒1上回る9秒83でフィニッシュ、続いてルイスが9秒93の世界タイ記録でゴールしました。
さて、この翌年のソウル五輪で、ジョンソンのドーピングが発覚したのはご承知でしょうが、その際に、ローマでの2人の記録・順位の扱いはどうなったでしょう。
③シドニー五輪女子マラソン金メダルの高橋尚子が、唯一出場した世界陸上はいつの、そしてその種目は何でしょう。
④1991年の東京大会後の世界記録保持者であるジョナサン・エドワーズは、三段跳びの競技(予選)に参加しませんでした。なぜでしょう。
⑤大会史上最も金メダルを多く獲得した選手は誰でしょう。次の3選手の中から選んでください。
1.カール・ルイス
2.セルゲイ・ブブカ
3.マイケル・ジョンソン
答え
①世界陸上の放送を現在も続けているTBSが担当したのは、1997年のアテネ大会からで、今大会で8回目になります。
第1回世界陸上ヘルシンキ大会はテレビ朝日の独占放送でした。
そして、2回のローマ大会から第5回のイエテボリ大会までは日本テレビが務めました。
1983年 テレビ朝日
1987・91・93・95年 日本テレビ
1997・99・2001・03・05・07・09・11年 TBS
②ソウル五輪の100mで優勝したジョンソンのドーピング(禁止薬物使用)違反が発覚し、前年の世界陸上ローマ大会までさかのぼって記録が抹消され、金メダルもルイスのもとへ渡りました。その一方、ジョンソンが1984年のロサンゼルス五輪で獲った銅メダルは、現在も認められています。
③高橋さんは、1997年アテネ大会の5000mに出場し13位、記録は15分32秒83でした。また、1999年のセビリア大会ではマラソンにエントリーしていましたが、故障で欠場しています。
④敬虔なクリスチャンであるエドワーズは、東京大会では競技日が日曜日だったため「日曜日は安息日であり、私は、神の定めた安息日に競技を行うことはできない」として欠場しました。が、1993年大会からは考えを改め、日曜日の大会にも出場するようになりました。その後の大会は、1993年3位、1995年1位、1997年2位、1999年3位、2001年1位と常にメダルを獲り、特に1995年のイエテボリ大会で出した18m29は、現在でも世界記録です。
⑤3人の獲得した金メダルは下記の通りです。
ただし、ルイスが活躍した時代の世界陸上は4年に1度、もし現在のように2年に1度開催されていれば、結果は違っていたかもしれません。
カール・ルイス 1983年100m・走幅・400R、87年100m・走幅・400R、91年100m・400R 合計8個
セルゲイ・ブブカ 1983・87・91・93・95・97年全て棒高跳び 合計6個
マイケル・ジョンソン 1991年200m、93年400m・1600R、95年200m・400m・1600R、97年400m、99年400m・1600R 合計9個
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