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October 12, 2011

開催が危ぶまれていた世界体操東京大会

東京で開催中の世界体操選手権 東京開催が決まったのは2007年5月。だが3.11を受けて開催が危ぶまれていたのはご存知だろうか。

地震発生・原発事故から10日後の3月21日から世界フィギュア東京大会の開催が予定されていた。
地震翌日の11日にはISUのチンクワンタ会長が東京開催懸念を表明、日本スケート連盟はISUから今秋の代替開催を打診されたが辞退。
結局この大会は、4月にモスクワにて代替開催された。

これが前例となり、日本で開催を予定されていた各種競技会は軒並み開催の是非が問われることとなった。
世界体操の東京開催に難色を示したのはロシア。

チェルノブイリ事故の記憶が強いのだろうか?
原発事故が収束していないことを理由に開催地の変更を迫ったのだ。
これに対しFIG(国際体操連盟)のサンノゼで開かれた評議会に、日本体操協会の二木英徳会長、文部科学省の競技スポーツ課長、JOC、東京都の代表等が出席し、放射線量の測定データなどを示して東京の安全性をアピールし理解を得た。
読売新聞に次のような記事がある。

文科省の担当者が一競技団体のために国際会議に出席するのは異例のことだという。 欧州のある理事は「日本政府が安全だと確信させてくれた。そのことが最も重要だった」と言う。 日本協会は、4月25日から各国協会など約190ヵ所に7か国語に訳した「ニュースレター」を9回配信した。 東京と世界主要都市の放射線量に差がないこと、主要国内スポーツが震災後も行われていることを伝える内容だった。 さらに渡辺守成専務理事が4月にベルリンに渡り、グランディFIG会長らに状況を説明。今月上旬にはベネズエラ、カタールにも出向き、中南米や中東の理事の理解を得た。(2011.05.24)


2016年東京五輪招致を見ていても、日本は国を挙げて五輪を呼び込もうという意欲に欠けていたと思う。
その一方で、世界体操の東京開催をオールジャパンで訴え、守ったことは、この大会に一競技会を超える重要性があると日本政府が考えたのだろう。
であるならば2020年の東京五輪招致は、震災後の日本の姿をどのように世界に発信していくか、さらに重要なファクターになると思う。

●参考 直近の世界体操選手権の参加国・選手数
2007年 シュツットガルト大会 84カ国 約600人
2009年 ロンドン大会 72カ国 437人
2010年 ロッテルダム大会 73カ国 619人
2011年 東京大会 81カ国 533人
東京大会が参加国・選手数ともにこれまでの大会と遜色ないことがわかる。


実は、世界体操選手権には余りよくない思い出がある。
2001年9月11日 アメリカ・ニューヨークにて同時多発テロが起きた。
そのひと月後、ベルギーのヘントで世界体操が開催された。
当事国のアメリカチームもぎりぎりで参加を決めた中、日本とプエルトリコのみが「テロの危険がある」との理由で不参加を決めた。

果たして恐れていたようなことは何も起らなかったのだが、当時日本体操協会はこういったコメントをしている。
「何も起こらないという保証はなく、人命の安全を最優先した。個人参加の道を選んでも、やはり何か起きてしまえば協会の責任だ」

9.11から10年経った東京に、同じ理由で来なかった選手団はなかった。
2001年大会は通常の世界体操だったのだが、(仮に同時多発テロが2003年に起きて)2003年大会の参加の是非が問われていたとしたら、日本体操協会はどういった判断をしただろうか?
2003年大会はアテネ五輪の予選を兼ねて開催されたのだ。
2003年大会で日本男子は団体3位に入りアテネ五輪の出場権を得、翌年のアテネ五輪では、28年振りに団体金メダルを獲得するのである。

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