1984年以降 赤字になった夏季五輪は1回のみ
まだ五輪が、アマチュアリズムの祭典だった頃、五輪開催はカネのかかる代物だった。
1976年のモントリオール五輪は、大赤字を出し、1984年夏季五輪に手を挙げたのはロサンゼルス1都市しかなかった。
が、このロス五輪が民間資金を導入し大幅な黒字を出した。
税金を使わずに企業や一般市民の寄付でまかない、施設は可能な限り既存を利用。
徹底した倹約運営で、2億5000万ドルもの大黒字を残す史上画期的な大会としたのだ。
五輪をビジネス化したこの民活方式は「五輪は金のなる木」の“ロス神話”まで生み、五輪に限らず後のスポーツ大会の開催モデルとなる。
そしてIOCが放送権料・スポンサー収入の一部を開催都市の組織委員会に分配するようになり、五輪運営費が赤字となることは少なくなった。
その結果多くの都市が開催のための手を挙げるようになった。
ロンドンが開催する今年の五輪も、パリ(仏)、ニューヨーク(米)、マドリード(スペイン)、モスクワ(ロシア)と、欧米先進国の主要都市がそろったの史上最高の激戦だった。
また、競技会場や公共交通の建設費も、後利用計画がしっかりしていれば、都市整備の投資と位置づけられる。
ロス五輪以降、夏季五輪が赤字となったのはバルセロナ五輪の1回のみ。
スペインは、五輪の成功のために巨額の投資をした。
バルセロナ市によれば、五輪開催が決定した1986年から開幕の92年7月までに、五輪関連の国、市、自治州による公共投資額は約7000億ペセタ(70億ドル)に上った。
この結果、バルセロナは市内の外周を約40分で回る環状道路や地下鉄が整備され、暗いイメージだった港湾地区も明るいヨットハーバーに生まれ変わった。
五輪以前はあまり名の知られたまちではなかったが、今では欧州有数の観光都市となった。
当時この赤字はスペイン中央政府と地元自治体とで赤字を肩代わりすることで決着している。
●ロス五輪以降の収支 赤は赤字額 ユーロの導入は2002年1月1日
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