2012年夏季五輪開催地決定

January 26, 2011

英国は今(2) ハンドボール編

男子ハンドボールの世界選手権が開催されているスウェーデンで、25日にあるテストマッチが行われた。
その対戦は

英国五輪代表対スウェーデンU21代表で、25対34スウェーデンU21代表が勝利した。
スウェーデンはハンドボールの強豪のひとつだが、一方の英国のハンドボールの実績は、ゼロに近い。

ご存知のように英国においてさかんなスポーツはサッカー、ラグビー、自転車、陸上、競泳などで、バスケット、バレー、ハンドボールなどの球技はほとんど行われていない。
しかもUK(連合王国)としての競技団体がほとんど組織化されておらず、イングランド、スコットランドといった地域(国?)ごとの活動がほとんどだった。
2年後に迫ったロンドン五輪にも、なかなかUKとして準備が出来ていない。

ロンドン五輪のハンドボールは男女ともに12カ国だが、ホスト国である英国が出場すると決まったのは、実は今年になってからだ。
あまりにも実績がない(早いはなしが弱い)ため、五輪出場に相応しいかなかなか結論がでなかった。

五輪開催国は、各競技に予選なしに参加できることになっているが、例えば最近でもアテネ五輪(2004年)の男女ホッケーにギリシャは参加しなかった例などがある。
同様に英国のハンドボールは出場を見送るはなしもあったのだが、個々の選手がヨーロッパのその他の国のリーグに参加していること、英国におけるハンドボールの普及の一環として参加が認められた経緯がある。

2009年8月にフランスで、日本代表と英国代表が一度対戦したことがある。
20分ハーフの変則マッチだったようだが、日本が36-22で圧勝している。
英国は大型選手が目立ったが、他競技からの転向者が多く稚拙なチームだったようだ。

●ハンドボール英国男子代表
五輪出場 なし
世界選手権出場 なし
欧州選手権出場 なし

参考記事
英国は今 水泳編

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August 26, 2010

英国は今 水泳編

この8月ハンガリーのブダペストで、水泳の欧州選手権が開催された。
ハンガリーと水泳がなかなか結びつかないかもしれないが、女子200m背泳ぎで同一種目3連覇を達成したクリスティーナ・エゲルセギ、ソウル、バルセロナとにおいて200m、400mの男子個人メドレーの2種目で2連覇の偉業を達成したタマス・ダルニュイといった大選手が出ている。
さらにハンガリーは、水球王国として知られ、何と9回の五輪優勝を誇っている。

この大会のメダル争いは1位にロシア、2位にドイツと常連が来て、3位にフランス、4位になんと英国が入った。
実は2年前の北京五輪の水泳でも、日本を上回る金メダル2個を含む6個のメダルを獲得してランキング3位だったのが英国である。
このときは、レベッカ・アドリントンが女子400m、800m自由形に優勝、ジャネット・エバンスの世界記録を破るというおまけまで付いた。

●英国の欧州水泳選手権の実績
年  金 銀 銅
2002 0 0 0
2004 0 0 0
2005 ロンドン五輪開催決定
2006 2 5 6 7位
2008 2 2 0 11位
2010 6 6 7 4位 

ここ10年の英国の欧州水泳選手権の実績を見ると、上のようになる。
2002年、2004年とひとつのメダルも獲れなかったが、2005年に2012年のロンドン五輪開催が決まってから飛躍的にメダル獲得が増えているのがわかる。
まさにロンドン五輪効果なのだ。

2005年にロンドン五輪招致に成功。
政府は毎年1億ポンド(約136億円)の選手強化費を補助金として支出することを決め、UKスポーツは「ミッション2012」と銘打った強化を始めた。
北京五輪では、ロンドン招致に成功した英国が、世界第4位となる19個の金メダルを獲得。
その4年前のアテネ五輪の9個(世界10位)から躍進した。
一方、ロンドンに破れパリ招致を逃したフランスは、アテネの金メダル11個から、北京は7個と下降している。
五輪招致の成否が、その国のスポーツの将来を決定するのは間違いない。

補足すると、もともと英国は水泳が弱いわけではない。
特に男子平泳ぎではモスクワ五輪ではダンカン・グドヒュー、ソウル五輪ではエイドリアン・ムーアハウスが100m平泳ぎで金メダルを獲っている。
田口信教さんのライバルだったデビッド・ウィルキーなんて選手もいた。
が、女子はほとんど活躍した選手がおらず、レベッカ・アドリントンの金メダルは、1960年にアニタ・ローンズブラウが200m平泳ぎで優勝して以来48年ぶりの金メダルだった。

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September 03, 2008

どうなるサッカー英国代表 

北京五輪開幕前にロンドンからこうしたニュースが流れていた。

イングランドサッカー協会は6日、4年後に開かれるロンドン五輪の男子サッカーで、英国代表チームを結成して参加することを明らかにした。協会幹部が英BBC放送に語った。同じ英国のウェールズ、スコットランド、北アイルランドの3協会は独立した地位が失われるとして反対の立場にあるが、たとえ3協会の賛成がなくてもチームを作るという。どのような構成になるかは、後で議論するとの立場を示した。五輪サッカーでの英国代表は190812年を連覇したが、60年を最後にチームを送っていない。(2008. 08. 07読売新聞)

2012年のロンドン五輪の開催が決定したのは2005年のことだが、サッカーの英国代表がどうなるか、3年経ってもはっきりしない。
ご存知のように、サッカーの母国英国には、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4協会があり、それぞれが国際試合に参加している。
これがロンドン五輪に限って、英国代表を結成するかが、注目となっている。
北京五輪の閉会式にベッカムが出てきただろう。
イングランドフットボール協会(FA)は、英国代表結成に意欲的だ。

北京五輪のサッカーは16カ国が参加し、アルゼンチンの2連覇で幕を閉じたが、欧州代表で参加したのは
オランダ、セルビア、ベルギー、イタリア
の4カ国。
予選は、2007年にオランダで開催されたU21欧州選手権と兼ねて行われた。
優勝がオランダ、2位セルビア、この両国に準決勝で敗れたのがイングランドとベルギーだった。

そう、上位4カ国の北京五輪出場権に、イングランドは手が届いていたのだ。
だが、イングランド代表では、英国代表にはならない。
五輪に参加するのは、英国であり、BOA(英国オリンピック委員会)の管轄になる。
慣例によりイングランドは五輪出場を辞退、イタリアとポルトガルの間で5位決定戦が行われ、イタリアが北京五輪出場権を得た。

かつては、サッカーでも英国代表が組まれ、1972年のミュンヘン五輪の予選までは参加していた事実もある。
ところが、4協会の確執から、40年近く英国代表は結成されていないのだ。

これまでの五輪であれば、それでも良かったのだが、地元開催のロンドン五輪をどうするか、その行方が世界的にも注目されている。

BOAの幹部の中にも、「4協会の確執が、若い選手が五輪でプレーする機会を奪っている」と指摘する声がある。
国際サッカー連盟(FIFA)も、五輪で統一チームを結成しても、4協会は従来通り、個別に活動できるとの見解を見せている。
だが、競技者の人口も多く、実力も高いいイングランドに英国代表の大多数を占められることに、スコットランドを始めとする他協会が納得しないらしい。
スコットランドやアイルランドはケルト人で、アングロサクソンであるイングランド人に征服されたという意識が強く、サッカーだけはイングランドに支配されたくないのだ。

北京五輪で英国は大活躍をし、金メダル19個は中国、アメリカ、ロシアに次ぐ4位、ロンドン五輪に向けて強化は順調に進んでいる。
自転車でスプリント、チームスプリント、ケイリンの3種目に金メダルを獲ったクリス・ホイはエジンバラ出身のスコットランド人。
同じく自転車の女子ロードレースで、金メダルを獲ったニコール・クックはウェールズ人。

2002年のソルトレークシティ冬季五輪の女子カーリングで金メダルを獲った英国代表は、実はチームスコットランドだった。
タータンチェックのスカートを覚えている方もいるかもしれない。

英国選手団の多くはイングランド人だが、スコットランド人、ウェールズ人、さらにはオーストラリア、南アフリカ、ジャマイカなど他の英連邦出身の選手もいる 言わば多国籍軍団だ。
であるにも関わらず、スコットランドフットボール協会等が、統一チームを嫌がる理由は日本人からすると、少々わかりにくい。

筆者の新刊発売中

Oly3_4


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September 07, 2007

平昌 3回目の冬季五輪立候補決める

韓国紙などによると、2014年冬季五輪招致でソチに惜敗した韓国の平昌は2018年の冬季五輪の開催地に立候補する。これで3大会連続の立候補となる
冬季五輪招致は韓国で最も貧しいといわれる江原道の発展を考える上でも切望となっているという。また、惜敗続きで同情票を期待しているふしもあるとしている。

平昌はよっぽど悔しくて、プライドに触るのだろう。
ただ、ショートトラック、ロングトラック以外冬季五輪での実績がゼロ、人工雪が前提のところでの冬季五輪はどうだろうか?

2018年の2年前の2106年夏季五輪に東京が立候補している、さらには2020年の夏季五輪には韓国第2の都市釜山が立候補の準備をしているとも聞く。
アジア開催が続くことはない。東京の成否が平昌にも大きく影響しそうだ。

さて、冬季五輪に3度立候補した都市はあるか?
いくつかある。

札幌市(日本) 
1968年落選
1972年招致
1984年落選

エステルスンド(スウェーデン)
1994年落選
1998年落選
2002年落選

バンクーバー(カナダ)
1976年落選
1980年落選
2010年招致

ソルトレークシティ(米国)
2002年招致
1998年落選
1972年落選

などがそうだが、札幌、ソルトレークシティは五輪開催を果たし、バンクーバーは2010年に開催する。
エステルスンドだけは、3回連続立候補して全て落選し、もう挑戦はやめてしまった。
ところが、夏季大会ではもっと凄い。ブエノスアイレスは7回立候補し、全て落選している。

そういえば韓国大邱(テグ)は2011年の世界陸上を開催する。
韓国は五輪の男子マラソンでは金1、銀1の実績があるが、世界陸上で実績は何もない。
国際陸連IAAFもここを指摘しているが、他国の事ながら集客を心配してしまう。

●最近の冬季五輪立候補都市(一次選考で落選した都市は記していない)
2014年
◎ソチ ロシア
平昌 韓国
ザルツブルグ オーストリア

2010年
◎バンクーバー カナダ
平昌 韓国
ザルツブルグ オーストリア

2006年
◎トリノ イタリア
シオン スイス
ヘルシンキ フィンランド
クラーゲンフルト オーストリア
ポプラトタトリ スロバキア
ザコパネ ポーランド

2002年
◎ソルトレークシティ 米国
エステルスンド スウェーデン
シオン スイス
ケベックシティ カナダ

1998年
◎長野 日本
ソルトレークシティ 米国
エステルスンド スウェーデン
ハカ スペイン
アオスタ イタリア

1994年
◎リレハンメル ノルウェー
エステルスンド スウェーデン
アンカレッジ 米国
ソフィア ブルガリア

1992年
◎アルベールビル フランス
ソフィア ブルガリア
ファルン スウェーデン
リレハンメル ノルウェー
コルチナダンペッツォ イタリア
アンカレッジ 米国
ベルヒテスガーデン 西ドイツ
(以下略)

●参考記事
ソチが平昌敗る 2014年冬季五輪 聨合通信は相手に対する敬意がなさすぎでは?

4000万ドルを使って冬季オリンピック招致に賭ける韓国とロシア

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June 05, 2007

ロンドンオリンピック ロゴ発表

来年の北京五輪まで1年以上あるというのに早くも2012年ロンドン五輪のロゴが発表された。

_43005619_london_new_pink_203これは何を意味しているかというと2012という年号だ。
発表に当たって組織委員長のセバスチャン・コーは
This is the vision at the very heart of our brand,
と、興奮気味に語っている。

ちなみに招致活動中はこんなロゴを使っていた。
Lg2012bn

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July 20, 2005

続・野球とソフトボール五輪種目外へ

2016年夏季五輪日本招致関連はこちらへどうぞ。

2000年シドニー五輪に参加し金メダルを獲ったベン・シーツ(アメリカ・現ブルワーズ)は、野球の五輪除外に次のようにコメントしている。「五輪での経験はすばらしかった。でも誰もそれを目指してプレーしてきたわけじゃない。メージャーリーグでの成功には関係ないことさ」。

巨人の上原浩治投手は、学生時代の国際大会と比べて「確実に欧州勢の力は上がっている。アテネ五輪でもオランダに中盤まで苦しめられた。野球の普及、底辺拡大のために五輪は絶対に必要。選手は五輪を通して世界のレベルを知り、さらに上を目指そうという気持ちになる」またアマやプロの「いろいろな人たちが築いてきたJAPANの歴史が途切れるのは本当に残念」と語っている。

漫画家のやくみつる氏は「参加国がごく限定される上に、その中での対応に歴然とした差がある状態では五輪の沽券が許さない」またルールについても「あれを予備知識ゼロの人たちに理解させる難しさは想像に難くない」と語っている。

このベン・シーツの考えは典型的なアメリカ人の野球に対する考え方だろう。
詰まるところ、アメリカでは五輪の野球を誰も目指していなかったということだ。
最高の野球は大リーグであって、来春のワールドベースボールクラシック(だっけ?)も大リーグの世界戦略の一環でしかない。
とすると、どういう経緯で野球が五輪種目になったか、検証しなければならないだろう。

日本人選手の場合は、アマチュア時代に全日本経験があるかどうか、あるいはシドニーでもアテネでも五輪代表に入ったか否かで、考え方に相違がある。
高卒ですぐにプロ入りした選手と、大学、社会人で国際試合を経験してきた選手とは考え方が異なるのは仕方がない。
学生時代にも、プロ入りしてからも全日本だった上原は、日本生命で3回五輪出場を果たした杉浦正則氏を非常に尊敬しているそうだ。
プロからも執拗に誘われた杉浦は、五輪にこだわり続けた野球人生を送った。
そんな先輩諸氏の築いてきた全日本のブランドを大切にしたい気持ちは、我々も同じだ。

スポーツ貴族とも揶揄されるIOC委員の中には、アジア・アフリカの方で、全く冬季五輪に参加しない国の委員も冬季五輪開催地決定の投票をしている。
彼らにとっては、ウィンタースポーツをするベストな開催地を選ばなくても、どうでもいいことだ。
今回の野球やソフトボールの除外にしても、大部分のIOC委員にとっては、「どうでもいいこと」むしろ、五輪の規模適正化に貢献できたと、自負しているかもしれない。

2008年の北京五輪の馬術会場は最終的に香港に決まった。
中国特別行政区の香港だが、北京からは驚くほど離れている。
実はアテネ五輪前に、野球とソフトはイタリアかオランダで実施すべきだ、とあるところで書いたことがある。
少なくともIOCのプログラム委員の「試合時間が長いのが何よりの問題。大会後、このスタジアムを使って地元で野球を普及させようという姿勢も感じられなかった」との酷評も和らいでいたかもしれない。

ところで新たな競技を五輪正式種目とするためには何が必要だろう。
五輪憲章2条に、五輪正式種目となるための基準は、男子75カ国以上、女子は40カ国 以上、男子は4大陸以上、女子は3大陸以上で競技されていると記されている。

マレーシアで生まれた競技セパタクロー(脚でやるバレー)は、密かに五輪正式種目入りを狙っている。
「競技」として認められることは困難だが、狙っているのは「種目」としてだ。
五輪憲章では、バレーボールとか陸上にあたる「競技」の新設には、国際オリンピック委員会(IOC)総会の承認が必要で、その条件は上記の通りだが、6人制バレーとか男子自由形100メートルにあたる「種目」は、理事会の承認と3大陸の50カ国での普及でいいことになっている。

このため国際セパタクロー連合は、バレーボールの新種目を目指し、1994年10月、国際バレーボール連盟(FIVB)に加盟申請した。いつのまにかバレーボールの中にビーチバレーという種目ができていたように、セパタクロー改め「アクロバレー」の名前で五輪種目化を狙っているのだ。

ロンドン五輪の4年後、8年後、日本の夏季五輪招致のはなしもちらほら出ている。
そのときにアジアのIOC委員の票をまとめたいなら、野球の復活を唱えるよりも、東南アジアで広く普及しているセパタクロー改め「アクロバレー」の五輪正式種目化を訴えたほうがいいのかもしれない。

あるいはカバディーだろうか…。

●参考リンク
野球をやめてラグビーを正式種目にしよう 夏季五輪
テコンドーはどうしてオリンピック種目に残ったのか
野球とソフトボール五輪種目外へ

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July 11, 2005

テコンドーはどうしてオリンピック種目に残ったのか

2016年夏季五輪日本招致関連はこちらへどうぞ。

野球とソフトボールが五輪種目から除外された一方、同様に存続が危惧されていたテコンドーはロンドン五輪でも正式種目として残ることになった。

今回のIOC総会を前に、IOCは「テコンドーはテレビ放映権による収益もなく、審判の判定が不公正であり、試合の興味も劣る」と題した報告書を出している。
実は、アテネ五輪ではジャック・ロゲIOC会長の見守る御前試合で誤審騒ぎを起こしている。審判の判定が不公正の根拠はここにある。

そもそも韓国生まれの格闘技テコンドーは、2000年のシドニー五輪から正式種目になった。
IOC副会長(当時)金雲龍氏の強力な政治力で採用されたいきさつがある。
当の金氏は、会長を務めた世界テコンドー連盟(WTF)の公金を横領した罪などで実刑判決を受け、5月にIOC副会長を辞任。
強力な後ろ盾を失い、「テコンドーは五輪の舞台で空手に取って代わられるのではないか」と、韓国ではささやかれていたのだ。

朝鮮日報によると世界179か国で競技人口6000万人を有するテコンドーは、大韓民国を象徴するスポーツ文化の輸出品として韓国の国際的イメージの向上に大きく貢献してきた、とある。
そんな大切なスポーツ文化を失わないために、彼らは次のような行動に出た。
                         ☆
韓国オリンピック委員会(KOC)の金正吉会長はIOC総会期間中、ロゲIOC会長に1通の手紙を渡した。
五輪実施競技から除外しないようお願いする、盧武鉉大統領の書簡だった。
金会長はサマランチIOC前会長とも会談。
聯合ニュースによると、両者から存続に前向きな言葉を得たという。さらにWTFは改革委員会を設置し、審判の不正防止、採点法の見直し、ルールの簡素化にも取り組んだ。
総会会場に連日足を運び「80人以上のIOC委員と握手した」と豪語した姜錫哉WTF広報部長は「我々はアジア発祥の競技で、欧州発祥の競技ではない。
だからこそ安心せず、全力で存続活動をしたんだ」と振り返った。(asahi.com7.09)

これに対して、野球側はどういう対応をしたか。
まるで、ソウル対名古屋だった1988年の夏季五輪招致みたいだ。
日本プロ野球組織(NPB)の根来泰周コミッショナー、「韓国、台湾などと手を組みながら、ジャック・ロゲ会長をはじめ関係各位にも手紙を出すなど、あらゆる手を尽くした」そうだ(爆)。
もちろん、この方は日本プロ野球組織のコミッショナーであり、国際野球連盟IBAFという表に出なければならない組織は別にある。
しかし、IBAFの会長はMiquel Ortínというスペイン人だそうだ。
IOCは欧州中心の組織であり、その欧州での普及の低さが、正式種目除外を招いた訳でもある。
このOrtin氏がどういったロビー活動をしたのかぜひ聞いてみたい。

IBAFをサポートしているスポンサー企業はミズノ、キャノン、SSKと、4社中3社が日本企業である。
ミズノ、SSKとも野球を世界に普及させ、製品販売の拡大を狙っていたのだろうに。

サマランチ前会長は何でも取り込むことを五輪の繁栄とした。
76年モントリオール大会には21競技に約6千選手が参加(アフリカ諸国はボイコットだったけど)。
昨夏のアテネは28競技、約1万600選手に膨らんだ。肥大化で宿泊、交通など運営上のトラブルが多発。
「先進国の大都市でしか五輪は開けない」と批判が続出した。
そこへ2001年に就任したIOCのロゲ会長の公約が、五輪の規模適正化である。

ロンドン五輪決定、2種目の除外、ロゲ会長のもとのIOC総会に不満を持つIOC委員も多かったのではないだろうか。
この総会の最終日、シドニー五輪を成功させた、ロゲ氏と親密なゴスパー元IOC副会長(オーストラリア)が猪谷千春IOC委員と2人目のIOC副会長の座を争った。(定員4の内改選2)
猪谷氏は1人目を選ぶ選挙では17票の最下位に終わっていたものの、2人目を選ぶ選挙の決選投票でゴスパー氏を51対42で退けた。
IOCの中にかなりロゲ氏への不満があるとみていい。

●参考リンク
dans la rueさん 悲しきリストラ

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Oly3_4


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July 08, 2005

野球とソフトボール五輪種目外へ

国際オリンピック委員会(IOC)は8日の総会で、2012年ロンドン夏季五輪から、野球とソフトボール競技を外すことを決めた。
野球が五輪の実施競技から外れるのは、1992年のバルセロナ五輪で正式競技となって以来、初めて。ソフトボールは96年米アトランタ五輪で正式競技となって以来。
yakyu
この光景も2008年北京五輪が最後になる。

競技名

国内競技連盟数

NOCへの加盟割合

薬物使用違反率

陸上

202

100

0.64

水泳

190

94.1

0.24

野球

110

54.5

1.24

ソフトボール

113

55.9

0.00

ラグビー

110

54.5

0.58

ゴルフ

97

48.0

1.67

空手

169

83.7

0.97

スカッシュ

118

58.4

0.30

Rスケート

80

39.6

0.70

 

IOCは6月13日、12年夏季五輪の実施競技を見直すためにプログラム委員会が作成した各競技の評価報告書を公表し、3年前に除外対象に挙がった野球は世界的な普及度、ドーピング(禁止薬物使用)対策などで弱点が浮かび上がった。ソフトボールは人気面での低さが指摘された。

265ページに及ぶ報告書は現行の28競技にゴルフ、ラグビー(7人制)、空手、スカッシュ、ローラースケートの5競技を加えた計33競技について分析。各競技のランク付けや得点化はせず、データ重視の内容となっている。

報告書で、野球はIOC承認の国内オリンピック委員会(NOC)を持つ202カ国・地域のうち110カ国・地域にしか国内競技連盟(NF)がなかった。ドーピング検査では03年に実施された1051件のうち13件で違反があり、現行の五輪競技で違反率が唯一1%を上回る1.24%を記録した。ソフトボールは、昨夏のアテネ五輪でのテレビ放送時間の少なさやメディアの注目度の低さが指摘された。

一方、新採用候補も空手を除く4競技は世界的な普及度が低く、空手についても過去2度の世界選手権がごく一部の国でしかテレビ放送されていないなど、現行競技に取って代わるにはアピールに乏しい内容となった。
(6.15共同通信)

IOCは、ゴルフ、ラグビー、スカッシュ、空手とローラースケートと野球、ソフトボールを交代させることを検討する。その会議は、9日にある。
野球とソフトボールは、1936年のポロ以来五輪から減らされる最初の競技となる。

IOC会長ジャック・ロゲは結果を発表した後にこう言っている。「私は彼らがこの追放を恐れてはならないという事実を強調しなければならない。野球やソフトはは2012年の五輪の種目に含まれない、しかし、それは五輪のスポーツとして永遠に追放するわけではない。」

「彼らが2016年の五輪に戻るための会議をする。我々は、彼らの努力を支持する」と。

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July 07, 2005

2020 TOKYOは可能か?

ロンドン五輪決定から一夜が明けた。産経新聞には「さあ2020 TOKYO」などという文字が躍っている。産経によれば、2016年は北米、2020年にはアジア開催が有力であり、東京五輪よ再びとの内容だ。
私は違うが、東京五輪を生で体感した世代にとって、東京五輪とは、比較することができない特別な体験であり、触ってはいけない体験ではないのだろうか。個人的には、東京五輪を上書きするようなことはしない方が良い気もする。

イギリスの最近の五輪招致の歴史を見ると、以下の大会に次のような都市が立候補している。
1992年大会バーミンガム
1996年大会マンチェスター
2000年大会マンチェスター
2012年大会ロンドン
巨大都市ロンドンが出てきてやっと招致に成功した訳だ。

2000年にシドニー五輪を開催したオーストラリアは、
1992年大会ブリスベーン
1996年大会メルボルン
2000年大会シドニー
とやはり最大の都市シドニーを擁してやっと招致を成功させた。

そして日本は、
1988年大会名古屋
2008年大会大阪
と来て、どちらも失敗。
そうなるとやはり東京しかないのだろうか。
札幌市や福岡市では都市の格式が低すぎるかもしれない。

昨日のプレゼンテーションを見て、猪谷千春IOC委員は「コー(ロンドン)招致委会長のプレゼンテーションが非常に良かった。」
コーとはセバスチャン・コー氏のこと。
陸上競技者としても人間性も非常に優れた人物だ。
果たして日本にセバスチャン・コーはいるか?
荻村伊知朗さんが健在であれば、最もふさわしいだろう。
現役の中で見るならば荻原健司氏(現参議院)しかいない。
来年のトリノ五輪の際にIOC選手委員の改選があり、荻原は立候補している。
ここで当選できれば、TOKYO 2020も少しは現実味が出てくる。

岡野俊一郎IOC委員は「英連邦のつながりが強かったのだろう」と評した。
イギリスが立候補しているときも、オーストラリアが立候補しているときも、さらにはカナダが立候補しているときも、招致レースで英連邦諸国は互いに助け合っている。
シンガポールも実は英連邦。半分ホームゲームだったのだ。
日本に果たして友邦はあるのだろうか?

1988年以降の五輪招致投票結果

2012年大会(シンガポールIOC総会2005年)

ロンドン

22

27

39

54

パリ

21

25

33

50

マドリード

20

32

31

ニューヨーク

19

16

モスクワ

15

2008年大会(モスクワIOC総会2001年)

北京

44

56

トロント

20

22

パリ

15

18

イスタンブール

17

9

大阪

6

2004年大会(ローザンヌIOC総会1997年)

アテネ

32

38

52

66

ローマ

23

28

35

41

ケープタウン

16

62

22

20

ストックホルム

20

19

ブエノスアイレス

16

44

2000年大会(モンテカルロIOC総会1993年)

シドニー

30

30

37

45

北京

32

37

40

43

マンチェスター

11

13

11

ベルリン

9

9

イスタンブール

7

1996年大会(東京IOC総会1990年)

アトランタ

19

20

26

34

51

アテネ

23

23

26

30

35

トロント

14

17

18

22

メルボルン

12

21

16

マンチェスター

11

5

ベオグラード

7

1992年大会(ローザンヌIOC総会1986年)

バルセロナ

29

37

47

パリ

19

20

23

ベオグラード

13

11

15

ブリスベーン

11

9

10

バーミンガム

8

8

アムステルダム

5

1988年大会(バーデンバーデンIOC総会1981年)

ソウル

52

名古屋

27

 

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2012年オリンピックはロンドン

オリンピックは、ロンドンに戻ることになった。シンガポールで開かれていたIOC総会で、2012年の第30回オリンピックは、ロンドンが最有力といわれていたパリを54-50で敗った。ロンドンは1908年と1948年に続いて、3回目のオリンピックを開催する都市になる。

一方、本命と言われていたパリは1992年、2008年大会に続いてみたび敗れた。今回は前回までの敗因を研究しつくし、最高の計画を用意していたが、実らなかった。

前IOC会長サマランチとアジア・アフリカに今なお多大な影響力を誇示する前IOC副会長金雲龍(韓国・失脚)が、マドリードを強力に推し、大番狂わせを起こすとのうわさも流れたが、二人の老人にそれだけの力は既になかった。

近代スポーツの発祥の国である英国だが、陸上、競泳、馬術などを除いて実は余り強くない。
バレー、ハンドボール、体操、レスリングなど競技人口も少なく、(まして野球なんて誰もやっていない)組織も貧弱だ。
英連邦競技大会(コモンウェルスゲーム)のメダル争いでも、人口が3分の1に過ぎないオーストラリアの後塵を拝している。
おそらくは、オーストラリア、ジャマイカを中心とする英連邦諸国からコーチ、選手を移住させ、選手層を厚くするだろう。

そして、本当にサッカー英国代表チームが誕生するかどうか、興味は尽きない。

パリの敗退を見ていて、今後日本での夏季オリンピック開催は不可能でないかと感じる。
札幌市や福岡市が意欲的だが、財力、政治力、運、そしてベッカムもないと勝てない・・・。

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