ウクライナの血を引く大横綱大鵬幸喜逝く
大横綱大鵬が亡くなった。
色白の大鵬の父親がウクライナ人であったことは昭和の相撲ファンなら多く知るところだ。
日本人がウクライナのスポーツ選手としてまず思い浮かぶのはアンドレイ・シェフチェンコではないだろうか。
シェフチェンコは、ウクライナがポーランドと共催したUEFA EURO 2012を最後に現役から引退することを大会前に発表していた。
サッカー界から退いた後は、ゴルファーへ転向を果たす計画であり、ゴルフが112年ぶりに正式競技に復活した2016年のリオデジャネイロ五輪への出場を目指すという。
昭和を代表する大横綱大鵬幸喜は、樺太敷香町出身で、北海道川上郡弟子屈町で育っている。身長187センチ、この時代の力士の中では長身で色白だった。
史上最多の32回の優勝、45連勝、年6場所完全優勝2回など今も残る記録は多い。
近年旧ソ連出身の力士が目立が、彼らに先立つこと40年以上前、旧ソ連のウクライナ人を父に持っていたのが大鵬である。
1880年代にウクライナ東部のハリコフ州で生まれた大鵬の父のマルキャン・ボリシコ氏は、ロシア帝国による極東移住の呼びかけに応じた両親とともにサハリンに入植する。
やがて旧大泊(コルサコフ)へ移り、1928年、納谷キヨさんと結婚。1940年5月横綱大鵬が生まれている。
南樺太には日露戦争以来、ウクライナ系・ポーランド系の人が多くいたが、日本政府は彼らを外国人居留地に強制収用した。これによって大鵬は父親と生き別れとなったという。
後の資料によれば、大鵬新入幕の年、マルキャン・ボリシコ氏は亡くなっている。
トリノ五輪の女子フィギュアで荒川静香に次いで銀メダルを獲ったサーシャ・コーエン。
彼女の祖父は1970年代にウクライナからアメリカに渡ったウクライナ移民のユダヤ系アメリカ人だ。
サーシャとはウクライナ語の愛称で、本名はアレクサンドラ・ポーリン・コーエンという。
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