東京五輪のレガシーが生きる街
4月1日に長男が大学に入学した。
彼が通うことになった大学は私の母校でもあり、入学式は私の時と同じ記念会堂と呼ばれる講堂で行われた。
この講堂は1957年に大学創立75周年を記念して造られ、1964年の東京五輪ではフェンシング会場(及び近代五種のフェンシング会場)として使われた。
私自身は東京五輪を知らないのだが、記念会堂の一角に銘板があり、フルーレ、エペ、サーブル各種目の金メダリストの名前が刻まれていた。
私の在学当時、この銘板は既にかなり古びており、東京五輪なんて大昔の出来事、という思いがあった(笑)。が、誇らしくもあった。
東京には、東京五輪を契機に造られたものが多く残っている。
ネーミングライツにより、暫く渋谷C.C.Lemonホールと呼ばれていた渋谷公会堂は、東京五輪では重量挙げの会場に使われた。
一方、東京ドームの脇の黄色いビルの6Fには後楽園アイスパレスがあった。
五輪ではボクシング会場として使われたが、1993年5月をもって姿を消した。
先に来日していたIOC評価委員会の一行は、ホテルオークラに宿泊していたらしいが、このオークラも東京五輪とは関係が深い。
ホテル御三家という言葉がある。
帝国ホテル、ホテルオークラ東京、ホテルニューオータニの3つを指すが、100年以上の歴史を持つ帝国ホテルはともかく、オークラとニューオータニは東京五輪を契機に造られたホテルだ。
最近では外資系ホテルの新御三家も登場しているが、東京に長く住む人は御三家が好きだ。
オークラは、東京五輪の選手村の食堂にレストランのシェフを派遣し、技術指導をしたことでも知られる。
2020年夏季五輪の東京開催が決まれば、会期中にIOC本部は帝国ホテルに置かれることが決まっている。
東京では、競技施設のみならず、新幹線、地下鉄やモノレール、ホテル、首都高速道路など東京五輪を契機に様々なインフラ整備が行われ、現在でも何気なく利用しているものも多い。
こうした競技施設、インフラを東京五輪のレガシー(遺産)と呼ぶ。
マドリードにも、イスタンブールにもなく東京だけにあり、40余年東京の人々に愛され、親しまれている五輪のレガシー。
五輪を体験した記憶はなくとも、親から、街からそのレガシーは受け継がれ、子に孫にも受け継いでいく。
東京はそんな街ではないだろうか。
The comments to this entry are closed.
Comments