« 2020年五輪東京招致に向けての雑感 | Main | 東京五輪招致 テクニカルブリーフィングにてプレゼンテーション »

June 27, 2013

成熟都市東京が伝えられるメッセージは何だろうか?

ロンドン五輪が閉幕してすぐに、英国の保守系高級紙「Telegraph」に見開きの大きな記事が掲載された。
その見出しが“TEAM GB Didn't they do well?”だ。

 

『英国選手団 彼らはうまく行かなかったの?』

 

とでも訳せるだろうか。
TEAM GB(英国選手団)全員が一度に写った画像に、全員の名前とロンドン五輪での結果が書かれている。
英国選手団は、ロンドン五輪で史上最高となる金メダル29個を含む65個のメダルを獲得したが、メダルを獲った選手も、獲ることが出来なかった選手も同じ扱いで一緒に写った珍しい画像だ。(クリックしてみて)

 

Teamgbspread_2

 

元々『Didn't they do well?』というフレーズは、BBCテレビでかつて放映されたクイズ番組のタイトルらしいのだが、今の時代でも時々メディアに登場する。
で、その質問に対する答えだが、テレグラフ紙にその答えはないが敢えて書けば、

 

『そんなことはまったくないよ』 

 

となるだろう。
メダルを獲った選手も獲れなかった選手もそれぞれがよくやったじゃん。
これが成熟した都市で行う五輪の成果ではないか。
ちなみにこの記事は7万1200回ツイートされている。

 

 

 

2020年夏季五輪を招致しようとする東京は、7月3日にスイスのローザンヌで3回目のプレゼンを行い、9月にはIOC総会でその審判を受ける。
先のIOCによる評価報告書で上々の評価を受けた東京は、『なぜ東京なのか』 に対するもう一段上の回答を用意しなければならない。

筆者自身は、今後は先進国の成熟型五輪と、途上国による開発型の五輪が交互に開かれるようになるべきだと思っているが、ロンドンは成熟した都市による五輪のひとつの完成形を見せたといえる。

 

ロンドン招致の最大の功労者で、組織委員長を務めたセバスチャン・コーが開会式でどんなメッセージを発しているか見てみよう。
コーはこう述べている。

 

「五輪は世界の人々を協調、友情と平和の絆で結び付ける。スポーツには真実と純粋さの精神がある。全てを超えてインスピレーションを与えたい。」
.

 

この完結で明確なメッセージに対し、ロンドンから遡ること4年前に五輪開催を成し遂げた北京五輪の開会式では、劉淇組織委員長はこうスピーチしている。
「中国での五輪開催は100年ごしの夢であった。1908年の中国の英字新聞 『天津青年』 に中国は列国に伍して五輪に参加したい。そして中国でも何時の日か五輪を開催したいと書かれている。」
補足するならば、1908年、清朝末期の中国は、列強各国によって半植民地化されており、五輪開催どころか、参加すら出来ない状況にあった。

 

そして更に遡って1988年のソウル五輪の開会式では、朴世直組織委員長はこう訴えている。
「この開会式は分断国家の試練を克服した韓国民と、五輪精神に共感する全世界の人々がともにつかんだ光栄であり、二十一世紀への大きな一里塚である」。

 

一方、1964年の東京五輪の開会式で、安川第五郎組織委員長は以下のようにスピーチをしている。
「本年は、近代オリンピック復興70周年にあたりますので、これを記念し近代オリンピックの父クーベルタン男爵のありし日の声を皆様とともに拝聴し、氏の偉業を想起いたしたいと存じます。オリンピック東京大会はアジアで開催される初の大会でありますが、幸いに、これまでにない多数の選手団の参加をみましたことは、誠にご同慶にたえない次第であります。願わくば、オリンピック精神にのっとり、正々堂々たる競技が展開されることを期待いたします。」

 

東京(64年)はさておき、ソウル、北京は典型的な開発型五輪の挨拶ではないだろうか。

 

少し付け加えるならば、セバスチャン・コーは陸上界の神様、世界で3人しかいないモスクワ・ロサンゼルス五輪を連覇した人物。
劉淇氏の当時の肩書きは北京市市委書記、いわば北京市のトップ=政治家。
朴世直氏は軍人から政界に入り、ソウル五輪と2002W杯の両方の組織委員長を務めた人物、安川第五郎は安川電機の創始者で、九州電力の会長などを務めた実業家だ。

 

やはりオリンピアン(五輪選手)が伝えるメッセージが、最も心に響く。

 

そのセバスチャン・コーのロンドン五輪招致を決めたスピーチを紹介しよう。

 

「私が今日ここに立っているのは、自分自身が、オリンピックムーブメントによって感激させられたからです。メキシコ五輪当時、私が12歳の時、私は学校の集会所にクラスメートとともに行きました。私たちは古い白黒テンビの前に座り、五輪の映像を見ました。その日が、私を新しい世界に連れて行ってくれる窓となったのです。」

 

そしてコーは、14歳のロンドンの二ューハム地区に住むバスケットボール選手Amber Charlesを紹介した。
その風貌はいかにも移民の女の子といった風貌だ。

 

「なぜ彼女がロンドン招放団の一員なのか、私たちの目的は、若者たちに活気を与えることです。ロンドン東部に住む彼女らは、最も直接的に五輪に触れることが出来るでしょう。
ロンドンに住む人の出身国は、200カ国にも及び、彼女らの家族は各大陸出身者です。ロンドンの文化の融和は、彼らの存在は、世界のお手本になるでしょう。彼女らのスポーツを愛する心、そして私たちのロンドンに五輪を招くことは、心からの夢なのです。」

 

通常、各立候補都市の最後のプレゼンテーションでは、施設の充実をアピールに終始する。
が、ロンドン招致委委員会会長のセバスチャン・コーは、五輪選手出身者らしい締め方をした。

 

「スポーツに親しむ子供たちを増やし、ロンドンからイギリス、そして世界中に広めていく、次の世代五輪遺産を引き継ごう」
この訴えが、招致成功の決め手になった。

|

« 2020年五輪東京招致に向けての雑感 | Main | 東京五輪招致 テクニカルブリーフィングにてプレゼンテーション »