新・五輪招致の記憶(4) 長野勝利とサマランチ、堤義明、荻村伊智朗
このところ懐かしい名前がメディアに登場した。
堤義明氏 79歳。
西武グループの元オーナーであるだけでなく元JOC会長。
故サマランチIOC会長と親しく、長野五輪招致に著しく貢献した人物だ。
この堤氏が西武HDの株主総会で経営陣を支持することを表明したかと思えば、東京五輪招致に向けてJOCの最高顧問に就くという。
この週末スイスのローザンヌでは、各国オリンピック委員会連合(ANOC)総会
が開かれ、2020年五輪に立候補している3都市のプレゼンが行われる。
五輪招致、堤義明氏とローザンヌといえばこの話を思い出す。
1998年に冬季五輪を開催した長野市。
長野の開催が決まったのは1991年のバーミンガムで開かれたIOC総会だ。
当時のIOC総会だったサマランチ氏(故人)は、IOCの本部のあるローザンヌに五輪博物館を作ろうとしていた。
ハコモノを作る際に先立つものはカネ。
サマランチ会長は五輪博物館を作るために堤氏を通して日本企業に寄付を求めた。
結果、一口100万ドル以上を寄付した企業は全世界で33社、その内日本企業が19社、堤氏個人も100万ドルを寄付した。
今この博物館は改修中のはずだが、1 階ロビー奥に積み上げられた石板には、寄付した企業名が刻まれている。
サマランチ氏の名前もあり、その右隣に、盟友「ヨシアキ・ツツミ」の名前が刻まれている。
堤氏がローザンヌに行ったのかどうかは知らないが、東京側が堤氏の威光を再び利用しようとしているのだろう。
日本にはそれほど人材がいないのだろうか。
話を1991年に戻そう。
この年に来日したサマランチ氏の行動を振り返ってみる。
4月24日 世界卓球選手権開幕(千葉市幕張メッセ)
5月4日 サマランチIOC会長来日
競技は1日のみの視察をし、幕張プリンスホテル(当時)の宴会場で開いた昼食会には秋篠宮夫妻も招いた。
5月5日 JOC独立記念祝賀会開催 サマランチ会長出席
オリンピック・オーダー金賞が決まった堤義明JOC前会長に対し、自ら金賞メダルを授与した。東京での宿泊は東京ディズニーランド近くの外資系ホテル。最上階を借り切った。
5月6日 世界卓球閉幕
5月7日 サマランチ会長は随行員5人のほか、JOCや長野五輪招致委員会、報道関係者らとJR海浜幕張駅から長野に向け、3両編成の特別列車に乗り込んだ。
特別列車は、当時あった豪華さが売り物の団体専用列車「シルフィード」。
ラウンジ風の展望室があり、カラオケも楽しめた。
夜は、市民団体など500人による歓迎レセプションに出席、戸倉上山田温泉の名門旅館を借り切っての接待を受けた。
翌朝、列車は松本へ。
会長は松本空港から、トヨタ自動車の社用機で名古屋に向かい、同社を見学。
さらに、大阪の松下電器(現パナソニック)を訪問している。
このようにこの当時の五輪招致に、サマランチ氏は絶大な影響力を持ち、立候補都市は最大限にもてなした。
が、サマランチ氏に影響力を行使できる人物が日本にも2人いた。
ひとりは前述の西武鉄道のオーナーだった堤義明氏、もうひとりが荻村伊智朗さん(1994年没)。
荻村氏は、卓球が五輪種目になる前に何度も世界王者になり、引退後は国際卓球連盟会長、JOC国際委員長も務めた方だ。
サマランチ氏を幕張の世界卓球に呼べたのも荻村氏であればこそ。
サマラン氏と、約束なしで会えることのできた荻村氏の存在なくしては考えられない。
残念ながら長野五輪前に亡くなったのだが、国際的な知名度、影響力など際立った存在だった。
こうした人物が今日本にはいないではないのだろうか。
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