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July 18, 2013

新・五輪招致の記憶(7) 戦後唯一オリンピックを返上したまち

東京は1964年に次ぐ2回目の五輪開催をめざしているが、アルプスのふもとインスブルック(オーストリア)は冬季五輪を二度開催したまちだ。
しかも、東京五輪の年の1964年と1976年の2回。
なぜ12年という短い間に2回開催することができたのか?

デンバーを擁するコロラド州は、アメリカ独立から100年目の1876年に誕生した州であり、Centenial Stateというニックネームを持っている。
コロラド州の100年祭に、同時に大きなイベントを開こうと考えていた州政府は、1976年の冬季五輪招致を思い立った。
1970年 アムステルダムで開催されたIOC総会で、シオン(スイス)、タンペレ(フィンランド)、バンクーバー(カナダ)を破り、デンバーが1976年冬季五輪開催地に決まった。
ところが、地元コロラド州の負担金は500万ドル(当時)と莫大、環境問題さらには冬の観光旅行に対する否定的な影響が懸念されるようになり、市民グループの大会中止を求める運動は盛んになっていった。
パレスチナゲリラによるテロのあった1972年ミュンへン五輪の影響も返上に追い討ちをかけた。

1972年11月、ニクソン再選の大統領選とともに五輪返上が住民投票にかけられた。
結果は52万票対35万票で返上派が勝利、開催を返上が決まった。
これに対し、IOCは1973年2月 1964年の冬季大会開催地のインスブルック(オーストリア)を代替開催地とした。
冬季五輪は、その競技施設の建設に莫大な費用がかかる。
そのため、競技施設の整っている近年の開催地から選ばれたのだ。

アメリカの恐ろしいところは、このとき、既に1980年の冬季五輪にレークプラシッドが立候補していたことだ。
1974年10月、レークプラシッドの対立候補だったバンクーバーが立候補を取り下げ、レークプラシッドは無投票で1980年冬季五輪開催地に決まった。

今でこそ、五輪は世界中で開催の希望があり、1大会に多くの都市が名乗りを挙げる。
ところが、商業主義確立されていなかった70年代は最もその開催が苦しかった時期である。
同じ1976年の夏季五輪を開催したモントリオールは、10億ドルの赤字を残し、モントリオール市民は、21世紀になるまでこの赤字を解消すべく税金を払い続けると揶揄された。
事実、モントリオール市民がタバコ税として赤字を埋め続け、返し終わったのは大会から30年後の2006年だった。

アメリカで五輪は本当によく開催される。ここ30年余を振り返っても
1976年冬季 デンバー→ただし返上 
1980年冬季 レークプラシッド
1984年夏季 ロサンゼルス
1996年夏季 アトランタ
2002年冬季 ソルトレークシティ
6回も開催権を獲得し、5回も開催した。
こんな国はほかにはない。


1960年以降のアメリカが招致に関わった五輪 

冬季五輪開催都市

夏季五輪開催都市

米国の立候補都市

日本の立候補都市

1960

スコーバレー

ローマ

冬)スコーバレー

夏)デトロイト

夏)東京

1964

インスブルック

東京

夏)デトロイト

夏)東京

1968

グルノーブル

メキシコシティ

夏)デトロイト

夏)札幌

1972

札幌

ミュンヘン

冬)ソルトレークシティ

冬)札幌

1976

デンバー→

インスブルック

モントリオール

冬)デンバー

夏)ロサンゼルス

1980

レークプラシッド

モスクワ

夏)ロサンゼルス

1984

サラエボ

ロサンゼルス

夏)ロサンゼルス

冬)札幌

1988

カルガリー

ソウル

夏)名古屋

1992

アルベールビル

バルセロナ

冬)アンカレッジ

1994

リレハンメル

アンカレッジ

1996

アトランタ

アトランタ

1998

長野

ソルトレークシティ

長野

2000

シドニー

2002

ソルトレークシティ

ソルトレークシティ

2004

アテネ

2006

トリノ

2008

北京

大阪

2010

バンクーバー

2012

ロンドン

ニューヨーク

2014

ソチ

2016

リオ

シカゴ

東京

1960年以前の五輪は、ひとつの国から複数の立候補都市が出ることも認められていたため省略)

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