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December 21, 2013

新・冬季五輪の記憶② 安藤美姫より凄い!妊娠3ヶ月で五輪に出場した日本人

12月21日からの全日本選手権でフィギュアスケートのソチ五輪代表が決まる。
男女それぞれで3枠あるが、女子は浅田真央ほぼ確定、鈴木明子も有力で、残り1を巡っての熾烈な争いが行われる。
中でも、注目は妊娠、出産を経た安藤美姫だ。
18歳でトリノ五輪、22歳でバンクーバー五輪に出場。26歳で3度目の五輪出場を果たせるだろうか。


かつて妊娠中に五輪に出場した日本人選手がいた。
しかも今から40年以上も昔の話だ。

1960年のスコーバレー冬季五輪(アメリカ)は、スピードスケートに女子種目が初めて採用された大会である。
この当時、男子は10000mを除く4種目、女子は5000mを除く4種目が実施されていた。
日本女子初の五輪スピードスケート選手になった高見沢初枝さんは500m5位、1000m5位、1500m19位、そして3000mでは4位に入る健闘を見せた。
特に3000mで出した5分21秒4は、自らの記録を20秒以上も縮めた上に、3位の選手にあと0.4秒という非常に惜しいレースだった。
翌年、競技生活を一度引退し、1962年に同僚の選手だった現在の夫と結婚した(現姓長久保)。
しかし、この当時の女子のスピードは、選手層が薄い。
周囲の勧めもあり現役に復帰。
1年半のブランクを克服し、1964年のインスブルック冬季五輪の代表に選ばれた。

ところが、五輪開幕直前になって妊娠3ヶ月であると判明した。
それでもほとんど誰にも知らせることなく、五輪の開幕を迎えた。
案の定、自分の身体をかばいながらのレースでは思うような結果は出ない。
500mは12位。1000mで転倒したときは、流産すると思ったそうだ(途中棄権)。
1500mは10位。最も得意の3000mでは6位入賞という結果を残した。
妊娠のことは日本チームの監督も知らなかったという。
当時お腹のなかにいた長女も今では、二児の母になっている。
日本でも女性は結婚しても選手生活ができるという範を後輩に示したかったというのが、現役復帰したその理由だそうだ。
1964年といえば、東京五輪を半年後に控え、高度成長を謳歌していた時代である。

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