新・冬季五輪の記憶① 同一年に冬夏のメダルを獲ったローテンブルガー
夏・冬両方の五輪に出た選手、と聞くとまず名前が挙がるのは橋本聖子氏(現参議院議員・日本スケート連盟会長・ソチ五輪日本選手団団長)だろう。
冬夏合わせて7回の五輪出場は、当然日本記録。
今後もまず破られることはないだろうとおもわれていたが、ジャンプの葛西紀明がソチ五輪出場を果たせば並ぶことになる。
この橋本のスケートでのライバルだった選手に、クリスタ・ローテンブルガー(東ドイツ=当時)がいる。
スケートは500mと1000mのスペシャリストだった。
20歳で初めて出場したレークプラシッド五輪(1980年)では、目立った成績は残していないが、サラエボ五輪(1984年)で500m金メダル、続くカルガリー五輪(1988年)では500m銀、1000mでは金メダルを獲った。
同じ1988年のソウル五輪には自転車に出場し、女子スプリントで銀メダルを獲得した。
現在は、夏季・冬季五輪は異なる年に開催されており、同年の冬夏両五輪でのメダル獲得は、今後はあり得ない。
そのため、ローテンブルガーが唯一無二ということになる。
ソウル五輪を契機に自転車の方は引退するも、4年後のアルベールビル五輪には4度目となる冬季五輪に参加してきた。
ソウルの後、コーチだったルディング氏と結婚し、1989年には長男を出産。
さすがに2シーズンは、競技を一時中断していたが、90-91年のシーズンに氷上に復帰してきた。
とはいうものの、彼女の競技人生をバックアップしてきた旧東ドイツはこの世からなくなり、彼女がどんなレースを見せるか、大いに注目されたのだ。
この当時世界最強といわれたボニー・ブレア(米)、台頭著しい葉喬波(中国)には及ばなかったが3位、3大会で500mにメダルを獲った。
このとき33歳、1m64、60㎏。
体格的には恵まれていた訳ではない。
才能のある原石を見つけ出し、磨くシステムが東独にはあった、ということだろうか。