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December 23, 2013

新・冬季五輪の記憶③ 荒川静香VS村主章枝 1997年全日本フィギュア

1998年の長野五輪の代表選考会を兼ねた1997年の全日本フィギュアスケート選手権は、神戸・ポートアイランドスポーツセンターで開催された。
長野五輪の日本人選手の出場枠は、男子2名、女子が僅かに1名。
男子はこの年の世界選手権10位の本田武史が内定しており、もう一人は田村岳斗が有力視されていた。

女子の1名の座を争ったのは16歳の村主章枝と15歳の荒川静香。
後に五輪金メダリストになる荒川と、五輪入賞2回、世界選手権で3個のメダルを獲る村主も当時はほとんど無名の高校生だった。

女子のSPで、村主は完ぺきな滑りを見せ1位。荒川が2位に付けた。

1997年全日本フィギュア選手権
女子SP
①村主章枝0.5②荒川静香1.0

翌日のFSでは、荒川静香が、「自分で驚いたほどの完ぺきな出来」という出だしの3回転―3回転の連続ジャンプを決めて波に乗る。
一方の村主は転倒し、古傷の尻を強打、その後の演技が満足に出来なかった。
この結果、一人の長野五輪代表は、高校1年生の荒川静香に決まった。

最終結果
①荒川静香2・0②村主章枝2・5

この当時のフィギュアスケートは、旧採点システムで行われている。
長野五輪の4年後、2002年のソルトレークシティ五輪で、採点スキャンダルが起き、採点の世界に透明性を持ち込むことになり改正された。
これ以前は、6点満点からの減点で採点する方式で、各選手の演技内容を比較する「相対評価」だった。
現在では、ジャンプなど各要素の出来を点数化して積み上げる「絶対評価」となっている。

上記の村主と荒川の争いはいわゆる順位点で争われている。
SP1位の村主は0・5 2位の荒川が1・0。 以下3位1・5、4位2・0・・・
FS1位の荒川は1・0 2位の村主は2・0。 以下3位3・0、4位4・0・・・ と続く。

最終順位は、SPとFSの順位点の合計で決まる。


旧採点システムでは、他競技では考えられない珍現象が起きた。
例えば、ソルトレークシティ五輪の女子シングルの場合だ。

FSの自分の演技終了まで1位にいたクワンが、スルツカヤがFS2位の演技をしたことにより、3位に落ち、2位にいたヒューズが金メダルを獲ることになったというのだ。

★ソルトレークシティ五輪女子

<スルツカヤ演技前>
①クワン  SP1位(順位点0・5) FS2位(順位点2・0) 総合1位(順位点2・5)
②ヒューズ SP4位(順位点2・0) FS1位(順位点3・0) 総合2位(順位点3・0)

<最終順位>
金メダル ヒューズ SP4位(順位点2・0) FS1位(順位点1・0) 総合順位1位(順位点3・0)
銀メダル スルツカヤ SP2位(順位点1・0) FS2位(順位点2・0) 総合2位(順位点3・0)
銅メダル クワン  SP1位(順位点0・5) FS3位(順位点3・0) 総合3位(順位点3・5)

*順位点で並んだ場合は、FSの上位の方の選手が総合で上位になる。
よってヒューズが金メダルとなった。

先述のように、ソルトレークシティ五輪後、採点方法が変更され、現在ではこうした珍事は起こらない。

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