サッカー日本代表を巡るおカネのはなし(1) アディダスはいくら払うのか
W杯ブラジル大会で日本代表のユニフォームを提供するのはアディダス。
2002年、2006年、2010年に続く4大会連続ということになる。
もう10年以上昔になるが、2002年の日韓W杯を控えて、1999年からの8年間の日本代表のユニフォームに関して日本サッカー協会は入札を決めた。
これにアディダス、プーマグループ、アシックスに加えてナイキも参入し、当時としては破格の1年当たり8億円でアディダスが応札した。
元々日本にはアディダスの日本法人はなく、アディダスブランドのウエアはデサントが、シューズは兼松スポーツが総代理店を務めていた。が、1997年2月に日本法人のアディダスジャパンが設立され、27年続いていたデサントとのライセンス契約を終了させていた。
アディダスが日本開催のW杯をいかに大きく見据えていたかが判る。
では、それ以前の日本代表は何のウエアを着ていたか。
1994年アメリカW杯の出場が絶たれたドーハの悲劇。このとき着ていたのはプーマ。
1997年フランスW杯出場を決めたジョホールバルの歓喜の際はアディダス。
1998年フランスW杯本大会はアシックスだった。
1978年4月から1999年までの20年間は、デサント、プーマグループ、アシックスの3社が、日本男子代表・女子代表、五輪代表・ユニバーシアード代表、ユース代表の3つのカテゴリーを、1年ごとの持ち回りで提供していた。
(前述のようにデサントは当時アディダスの総代理店を務めており、ブランドはadidas)
主な大会のユニフォームは以下のようになる。
1987年 ソウル五輪最終予選 アシックス
1992年 アジア杯 アディダス
1993年 ドーハの悲劇 プーマ
1994年 広島アジア大会 アシックス
1995年 アンブロ杯 アディダス
1996年 アトランタ五輪 アシックス
1996年 アジア杯 プーマ
ちなみに新生アディダスの日本代表の最初のユニフォームは、1999年ナイジェリアで行われたWユース(当時)。
そう、あのトルシエの采配の下準優勝したあの大会だ。
2006年5月 ドイツW杯開幕のひと月前に、日本サッカー協会はアディダスジャパンとの契約を更新することを発表した。
契約期間は2007年4月から2015年3月までの8年間で、契約金額は推定で160億円という大型なものだ。
1年あたり20億円という巨額となった。
その巨額も来年、2015年3月に契約満了となる。
日本サッカー協会は、今年4月から新たな契約に向けて調整に入っていた。
今回、オファーしたのはアディダスのほか、ナイキ、プーマの3社。
4月下旬から各メーカーのオファーを受け付け、順次交渉を開始。
4年85億円と前回の1年20億円を上回る額を提示したアディダスと、今後交渉を一本化させる見込みとなった。
とはいうものの、簡単にアディダスの継続が決まった訳ではない。
イングランド(以前はアンブロ)、フランス(以前はアディダス)といったW杯優勝経験国が、この数年で長い間親しんだブランドからナイキに変更をしている。
サッカー市場において、ナイキの営業すさまじい。
日本サッカー協会にも猛然とアタックしてきたようだ。
ナイキは、前回の契約更新時(2007年)に、アディダスと並ぶ8年160億円以上のオファーを出していたが、
今回はさらに上乗せし、プーマも金額でアディダスとほぼ同じ額を提示したとみられるが、 アディダスと日本協会の蜜月関係を崩すことはできなかった。
日本サッカー協会は、この契約で得た金額を、来年にも具体化する「JFAフットボールセンター(仮称)」設立の資金にしたい考えを持つ。
東京近郊で羽田空港や成田空港に近い場所に、日本サッカー協会が自前で天然芝ピッチ2面にクラブハウスなどを備えた広大な施設で、土地を除く建設費用は約40億円かかると言われている。
●イングランドとナイキの契約
契約内容2012-2018.7.31
契約の長さ:7年
年間:2800万ポンド
契約総額:1億9600万ポンド
●フランスとナイキの契約
契約内容2011-2018年
契約の長さ: 7年半
年間:6320万ドル
契約総額:4億7400万ドル
*イングランドサッカー協会(FA)は、2010年にアンブロとの契約を2018年まで更新していた。
年間2000万ポンドという高額契約だったが、2007年にアンブロは、ナイキに買収されており、その後アンブロは2012年にナイキからアメリカのイコニックスに売却されている。
FAとアンブロとの契約がどう破棄されたかは不明。