« 世界一高価なスタジアムはどこか?仁川からバクーまで | Main | memo オリンピックの思い出 »

September 08, 2014

アジア大会 過去金メダルを最も獲得した選手はだれだ

1951年に始まったアジア大会で、これまで最も多くの金メダルを金メダルを獲った選手は誰だろう。

競泳の西側よしみが1974年、1978年大会に、女子100m、200m自由形、200m個人メドレー、400mリレー、400mメドレーリレーの5種目に出場し、すべて金メダルの合計10個の金メダルを獲得したのが最多だ。
西側は、五輪は68年~76年まで3大会連続出場し、68年の200m個人メドレー5位入賞が最高順位であり、メダルには届いていない。個人メドレーの選手のイメージが強いが、最後の五輪となった76年は背泳ぎに出場している。

北島康介は、20歳で迎えた2002年大会の200m平泳ぎで2’09”97の世界新(当時)を出して、その名を世界にとどろかせた。
02年と06年に100m平泳ぎ、200m平泳ぎ、400mメドレーリレーで合計6個の金メダルを獲得。
10年はメドレーリレーの予選に出場し、通算7個目の金メダルを獲った。
韓国の朴泰桓は06年に200m、400m、1500m自由形。10年に100m、200m、400m自由形で合計6個の金メダルを獲った。
仁川でも400m自由形の金メダルは間違いないだろうから、少なくとも北島に並びそうだ。

Asia

中国発祥で、国際的なスポーツブランドになったLi-NING。
今朝の全米オープンで、錦織圭に勝ったマリン・チリッチも着ていた。

創業者の李寧は、ロス五輪の体操で具志堅幸司と個人総合を争い、北京五輪で最終聖火ランナーを務めた人物だが、やはりアジア大会でも活躍している。
1982年に団体、個人総合、吊り輪、あん馬の、1986年には団体、個人総合、床、吊り輪の合計8個の金メダルを獲得している。
北京五輪の個人総合の覇者である楊威は、1998年に団体と床。2002年には団体と個人総合。2006年は団体、個人総合、平行棒、吊り輪の金メダルを獲り、合計は李寧と並ぶ8個である。
中国にはほかにも86年、90年の射撃に合計10個の金メダルを獲得した許海峰もいる。

一大会の最多金メダルは、82年の射撃で、7個の金メダルを獲った北朝鮮のソ・ギルサンだ。
射撃のエア、フリー、センターファイアの3種目と団体、さらにラピッドファイアの個人で金メダルを獲った。
だがこの選手、86年ソウル大会に北朝鮮は不参加。90年北京大会には出場したものの、既にピークを過ぎ金メダルはゼロに終わっている。

最多ではないが、陸上ハンマー投げの室伏重信は70年から86年まで5大会連続で金メダルを獲り、アジアの鉄人の異名が付いた。その長男である室伏広治は98年、02年に金メダルを獲り、親子で同一種目に7個の金メダルを誇る。
磯崎公美は高校3年だった82年に200m、400m、400mリレー、1600mリレーの4個の金メダルを獲得した。
また、新宅雅也は78年には3000m障害、82年には5000m、86年は10000mの3大会連続の金メダルを獲得している。
そして小西恵美子は高校生だった70年から82年まで4大会連続で400mリレーに出場し、金3銀1(78年)を獲得した。


|

« 世界一高価なスタジアムはどこか?仁川からバクーまで | Main | memo オリンピックの思い出 »