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October 01, 2014

ソビエト代表からキルギス代表になったイゴール・パクリン

仁川アジア大会の陸上競技は男子走り高跳びが行われ、23歳のムタズ・エサ・バルシム(QAT)が2m35を跳びアジア大会2連覇を果たした。
4年の世界ジュニアの王者で、そのときに銅メダルを獲ったのが仁川で5位に入った戸辺直人である。

タズ・エサ・バルシムは今年2m43を跳び、1984年に中国の朱建華が作ったアジア記録2m39を、26年目に破った。
朱建華はロサンゼルス五輪の銅メダリストとしてその名を知られている。
が、ロス五輪は西側に朱建華を上回る記録を持つ選手はおらず、金メダルの最右翼といわれながら銅メダルに終わった。
この当時の中国選手は、国際経験に乏しく、勝負弱い面もあったのだ。

ロス五輪から1年後、1985年に神戸でユニバーシアードが開催された。
ユニバーシアードは、五輪や世界選手権に比べればその規模は大きくなく、レベルも高いわけではない。
が、ソビエトから来た細身のジャンパーが、走り高跳びで2m41の当時の世界新記録を出した。
彼の名前はイゴール・パクリン。
この記録は現在なお
 ①ハビエル・ソトマイヨール (キューバ2m45)
 ②タズ・エサ・バルシム (カタール2m43)
 ③パトリック・ショーベリ (スウェーデン2m42)
 ④B・ボンダレンコ (ウクライナ2m42)
 ⑤イゴール・パクリン (ソ連2m41)
世界歴代5位にある。

このパクリンは、パトリック・ショーベリとは1987年のローマの世界陸上では死闘を演じ、同記録(2m38)ながら銀メダルに泣いた。
ソウル五輪では7位、東京世界陸上では10位となかなかタイトルを手に出来なかったが、このときまではソ連代表。
そして1991年にソ連が崩壊してしまい、どうしているかと思っていたら、1994年の広島アジア大会にキルギス代表として再び日本の地を踏んだ。

広島ビッグアーチの観客席からパクリンの姿を見つけ、ユニフォームにKirghizia(キルギスタン)と書かれていたのを見たときは、ちょっと感動した。

広島で優勝したのは吉田孝久で2m27。
全盛期を超えていたのと新しい母国の支援が足りなかったのだろうか、パクリンは4位に終わった。(記録は失念してしまった)
その後36歳になる1999年まで競技を続け、最後は生まれ故郷のビシュケク(キルギス)の競技会で2m25を跳び引退した。

パクリンは、世界記録を跳んだときはソ連だったため、その後アジアであるキルギス国籍になってもアジア記録に変更はされていない。

●アジア大会男子走り高跳びの優勝者(1978年以降)
1978 阪本孝男(JPN) 2m20
1982 朱建華(CHN) 2m33
1986 朱建華(CHN) 2m31
1990 周忠革(CHN) 2m26
1994 吉田孝久(JPN) 2m27
1998 李鎮宅(KOR) 2m27*
2002 李鎮宅(KOR) 2m23
2006 ジャンクロード・ラバト(LIB) 2m23
2010 ムタズ・エサ・バルシム(QAT) 2m27
2014 ムタズ・エサ・バルシム(QAT) 2m35

*この李鎮宅は、マラソンを除く韓国陸上史上最高の選手ではないか。
自己ベストは2m34。1999年のセビリア世界陸上では6位(2m29)になった。

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