東京五輪検定② (○×クイズ)アントン・ヘーシンクに敗れた神永昭夫は 同じ日に2回ヘーシンクに敗れている。
正解:○
東京五輪の柔道無差別級に参加した選手を調べてみるとなんと9人しかいない。
体重のある選手が、重量級と無差別級に分散されるとはいえ9人とは随分と少なかった。
予選で9人を3つの組に分け、各組2勝した3人が準決勝に進出。
各組1勝した3人で敗者復活戦を行い、4人目の準決勝進出者を決めるという試合形式が採られた。神永昭夫は抽選でヘーシンクと同じ組になり、この日最初の対戦は判定で敗れた。
その後敗者復活戦、準決勝を勝ち上がり、決勝で再びヘーシンク挑むも9分22秒(当時、試合時間は10分だった)袈裟固めで一本負けをし、銀メダルに終わった。
余談ながら神永は、この試合の翌日、定時に勤務先の富士製鉄(現新日鉄住金)に現れ、普通に勤務をしたという。
1992年のバルセロナ五輪では、日本代表総監督として吉田秀彦や古賀稔彦を金メダルを見届けたが、翌1993年に直腸癌のため死去、56歳の若さだった。