27年振りのメダル独占 1999年世界ノルディック
ノルディックスキーの世界選手権第8日は26日、スウェーデンのファルンで行われ、ジャンプ男子ラージヒルでソチ冬季五輪銀メダリストの葛西紀明は11位だった。
セベリン・フロイント(ドイツ)が268・7点で圧勝。小林潤志郎が13位、竹内択は24位、伊東大貴は28位。に終わった
ノルディックスキーもアルペンスキーも、奇数年に世界選手権が開催されており、今年の大会も終盤に来ている。
長い大会の歴史のなかでも1999年が印象深い。
1998年の長野五輪ジャンプ団体で念願の金メダルを獲得し、その4年前リレハンメルの雪辱を晴らした日本だったが、1999年世界ノルディック選手権(ビショフスホーフェン=オーストリア)のジャンプ団体ではドイツに僅差で敗れ銀メダルに終わっていた。
ドイツは4人の内全員が2回ともK点を越えたが、2人が転倒。
それでも日本を押さえる圧倒的な飛距離だった。
それから3日、舞台をのラムソーに移してNH(ノーマルヒル)の個人戦が行われた。
長野五輪LH(ラージヒル)金メダルの船木和喜は1回目に96mを飛び、持ち前の美しいフォームで首位に立つ。
96.5mの宮平秀治が2位、最長不倒の98mを飛んだ原田雅彦はしりもちをつきかけて飛型点をロスしたものの4位につけた。
2回目は原田が3人を残して94mを飛び、その時点で首位に。
3位につけていたこの大会のLH金メダリスト シュミット(ドイツ)が失速、順位を落とす。
続く宮平は93.5mで、原田をかわす。
最後にスタートした船木は94m。
この回でもトップとなり金メダルを獲得した。
なお、葛西紀明は5位に入った。
ジャンプ競技のメダル独占といえば、札幌五輪があまりに有名であり、五輪、世界選手権でこれが再現されることはあり得ないと思っていた。
が、長野五輪の翌年、あっさりと再現されてしまった。
団体でドイツに惜敗しても、それを引きずらない雰囲気の良さがあった。
札幌五輪70m級のメダル独占から27年目の快挙であった。
このとき、原田雅彦30歳、葛西紀明28歳、船木和喜23歳である。
ご存知のように葛西紀明は、長野五輪の出場はNHのみ(7位)で、LHにも金メダルを獲った団体にも出場していない。
さらにこのメダル独占のビショフスホーフェンでも、5位という好成績でありながら表彰台には立てなかった。
船木、宮平、原田が満面の笑みでメダルを受け取る際、テレビのカメラが葛西をとらえると悔しそうな顔が見て取れた。
誰よりも長く現役を続けるモチベーションは、ここにあるのだ。
●1999年世界ノルディック選手権 NH K=90 2月26日 得点(1回目の飛距離,2回目の飛距離)
1.船木和喜 255.0(96.0,94.0)
2.宮平秀治 253.5(95.5,93.5)
3.原田雅彦 252.0(98.0,94.0)
4.ヤンネ・アホネン(フィンランド) 249.0(94.0,93.0)
5.葛西紀明 247.5(95.0,92.0)
5.M・ヘルバルト(オーストリア)247.5(94.5,92.0)
●1972年札幌オリンピック 70㍍級 K=86 2月6日 得点(1回目の飛距離,2回目の飛距離)
1.笠谷幸生 244.2(84.0,79.0)
2.金野昭次 234.8(82.5,79.0)
3.青地清二 229.5(83.5,77.5)
23.藤沢 隆 207.8(81.0,68.0)