産経新聞曽野綾子氏のコラムは東京五輪ボイコットの引き金になるかもしれない
安倍政権の周辺の人々は、歴史修正主義者が多い。
歴史修正主義者とは例えば、日本の他のアジアの国々への侵略や虐待を否定する視点を持っている人のことだ。
産経新聞紙上に11日に掲載された作家曽野綾子氏のコラムが、世界中で問題視されている。
このひとなどは典型的な歴史修正主義者であろう。
曽野氏のコラムは
「南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というように分けて住む方が良いと考える。南アフリカは、人種差別の廃止以来、黒人とともに住むようになり、白人の快適な暮らしに変化を来した。そのため日本がやがて移民を受け入れるようになっても、居住だけは別にした方がいい。」
という内容だ。
これでは、アパルトヘイトは必要である」としか読めない。
報道管制が敷かれているのかは、判らないが、日本国内のメディアなかなか曽野のコラムに触れない中、海外のメディアは即座に反応した。
2月13日ロイター通信は
Japan PM ex-adviser praises apartheid in embarrassment for Abeという見出しとともに報じている。
菅官房長官は、「曽野氏は一昨年10月にはもう、政府の委員を辞めていらっしゃる方であり、個人の見解について、政府のコメントをすることは控えたい」と答えたというが、肝心のアパルトヘイトを肯定する発言について、全く批判をしていない。
アパルトヘイトとは何か。
そしてアパルトヘイトが、何をもたらしたか政権は判っていないのではないか。
アパルトヘイトとは、かつて南アフリカ共和国で行われていた人種隔離政策のことを言う。
約2割の白人支配層が非白人を差別し、居住地区を定め、異人種間の結婚を禁じ、参政権も認めなかった。
1960年代から反対闘争が激化した。
1991年にアパルトヘイト関連法が廃止され、初の全人種参加となった1994年総選挙で故マンデラ氏が初の黒人大統領に就任した。
このブログを読んでいただいている方は、筆者が、度々五輪が政治に巻き込まれ、あるいは政治が五輪に介入し、五輪には不幸な時代があったことを書いていることをご存じだろう。
戦前にはヒトラーがベルリン五輪(1936年)を政治利用した。
東西冷戦時にはモスクワ五輪(1980年)の西側諸国のボイコットとロサンゼルス五輪(1984年)の東側諸国による報復ボイコットがあった。
が、あまり日本では多く知られていないが、モスクワ五輪の4年前、1976年のモントリオール五輪でも25のアフリカ諸国によるボイコットが起きている。
このボイコットは、主催国カナダに対する抗議ではなく、ニュージーランドラグビー代表チーム=オールブラックスの南アフリカ遠征に抗議をしてのものだ。
つまり、アパルトヘイトは過去に、五輪ボイコットの引き金になっている。
ロイター通信も、先の記事の中でこう書いている。
Sono's comments prompted widespread outrage on social media, with some saying they were especially offensive given that Tokyo is set to host the 2020 Summer Olympics.
曽野のコメントはソーシャルメディア上で即座に幅広く怒りを生み出した。東京が2020年の五輪を開催することを考えれば特に不快だと述べる人もいる。
南アフリカは1964年の東京五輪から、1988年のソウル五輪まで、五輪参加を許されなかった。
その理由はもちろん、アパルトヘイトである。
1963年のIOC総会はケニアのナイロビで開かれる予定だったが、ケニア政府がアパルトヘイト政策をとる南アフリカ代表の入国を拒否した。
アフリカ統一機構(OAU、現在のアフリカ連合)は、アパルトヘイト政策の南アフリカと反目しており、ケニアもその方針に従った。
IOCはこれを「政治での差別をしない」とする五輪憲章に背くとしたが、IOC総会はバーデンバーデン(当時西ドイツ)に変更された。
バーデンバーデンのIOC総会では、メキシコ市が1968年夏季五輪の開催地に選ばれるとともに、1964年の東京五輪に南アフリカを参加させないことが決議された。
「人種差別の非」もまた五輪憲章にある。
東京五輪に参加できなかった南アフリカは、1967年に白人、黒人の混成チームでのメキシコ五輪への参加を希望するとIOCに懇願し、IOCも一度は認める決定をした。
するとOAU諸国が激怒し、メキシコ五輪の集団ボイコットを表明した。
困ったIOCは緊急理事会を開き、南アフリカの五輪からの締め出しを決議する。
アパルトヘイトを続け、イスラエルや台湾しか友好国を持たなかった南アフリカは、世界の文化、スポーツから完全に孤立していた。
ただ、ラグビーだけは自他ともに認める世界一の実力を誇った。
が、これを実証するにはオールブラックスに実際に勝利しなければならなかった。
オールブラックスが人種差別政策をとる南アフリカに遠征したことが、モントリオール五輪を大きく揺さぶることになる。
オールブラックスの南アフリカ遠征と簡単に言うが、1976年6月30日から9月4日の間に、南アフリカ代表とのテストマッチ4戦を含む28試合が行われようとしていた。
7月17日のモントリオール五輪開会式を前に、アフリカ統一機構OAUを中心に、人種差別撤廃を掲げるアフリカ諸国は、ニュージーランドの五輪締め出しを要求。
これに対し、IOCは、「オリンピックと開係のない政治問題だ」として交渉に応じなかった。
モントリオール五輪では、英国のエリザベス女王が開会宣言をすることになっており、ニュージーランドはエリザべス女王を元首とする国。
エリザベス女王への配慮から簡単にニュージーランドを切り捨てられないIOC。
さらにIOCは、ブランデージ会長からキラニン会長に代わって初の大会であり、開会前、台湾の呼称をめぐってカナダ政府が選手団の入国を拒否するトラブルもあり、全てが後手後手になっていた。
IOCが目立った動きを採れない中、ついに、現地入りしていたエチオピア、ナイジェリアなど17カ国選于団がモントリオールを離れ、最終的なボイコット国は25か国にも及んだ。
五輪は、この4年後のモスクワ五輪、8年後のロサンゼルス五輪と続くボイコットの応酬の幕を開けることになるのだ。
アンダーコントロールどころか、収束する見込みの全くない福島原発事故。
わざわざイスラエルの国旗の前で会見を行った安倍総理。
報道の自由への抑圧。
五輪を開催するということがどういった意味を持つのか、この国のトップは判っていないらしい。
元政府アドバイザーのアパルトヘイトを肯定するコラムが、2020年東京五輪ボイコットを引き起こしかねないことに早く気付いた方がいい。