陸上10種競技のはなし
前回のポストでは、1912年のストックホルム五輪の陸上10種競技の覇者、ジム・ソープを取り上げたが、日本人選手で10種競技で五輪に出場した選手は少ない。
現日本記録保持者の右代啓祐は、2012年のロンドン五輪に出場(20位)したが、右代以前に10種競技で五輪に出場した日本人は、1964年の東京五輪の鈴木 章介(15位)まで遡ることになる。
僕が小学生時代に、読売ジャイアンツに鈴木章介という名前の「ランニングコーチ」がいた。
調べると、野球の経験のない人物で、もちろんプロ野球の公式戦に出場経験はない。
どうして巨人に入ったのか不思議だったが、1979年ころに巨人を退団、その後は名前を聞くこともなく、自然に忘れていった。
2012年になり、右代啓祐がロンドン派遣標準記録Bを突破した時に、僕はこんなツイートをしている。
陸上日本選手権混成競技最終日、男子の十種競技は右代啓祐が8037点で3連覇を達成するとともに2度目の五輪B標準を突破、ロンドン五輪出場が有力になった。実現すれば東京五輪の鈴木章介(15位)以来となる。なお東京五輪には台湾の楊伝広が5位入賞しているが、楊はローマ五輪の銀メダリスト。
— オリンポス2016 (@olymposcassis) 2012, 6月 4
この6月の時点では、東京五輪出場の鈴木章介氏が、のちの巨人の鈴木コーチであると気付いていなかった。
そのことに気付いたのは、ロンドン五輪閉会間際だった。
むかし巨人にいた鈴木章介ランニングコーチが、48年前の東京五輪の十種競技に出場した鈴木選手その人だと初めて知った。記憶の点と点が今日つながった。ちなみに15位でした。#陸上
— オリンポス2016 (@olymposcassis) 2012, 8月 12
このツイートの中に出て来る楊伝広とは、1960年ローマ五輪の10種競技銀メダリスト。
台湾人だが、漢民族ではなく少数民族出身だ。
1960年代の台湾は、世界的なアスリートを排出している。
1968年のメキシコ五輪陸上女子80mハードルで銅メダルを獲った紀政も台湾人だ。
楊伝広は、とにかく人並み外れた超人だった。
10種競技では、メルボルンから東京まで3回の五輪に出場している。
1956年 8位
1960年 2位
1964年 5位
さらにメルボルン五輪では、走り高跳びで20位(1m86)、東京五輪では棒高跳びで10位(4m60)に入っている。
10種競技に話を戻そう。
1912年ストックホルム五輪金メダルのジム・ソープ、ローマ五輪銀メダルの楊伝広、さらに昨年の仁川アジア大会で右代啓祐が優勝した時の記録を現在の基準で点数化してみた。
10種競技の点数化の基準は、時代によって変わっている。
棒高跳びややり投げなど、用具の進歩が得点に大きく影響したものもあるからだ。
今の時代は、100m、400mなど走力に長けた選手の得点が高くなる傾向がある。
そのため、高い走力を誇った1960年の楊伝広の点数は、2014年の右代啓祐を超えてしまっている。
*ジム・ソープの1912年当時の基準による点数は8412.955。
同様に1960年当時の基準による楊伝広の点数は8334。(但し諸説ある)