棒高跳びで5人が表彰台に登る珍事 北京世界陸上
世界陸上北京大会の棒高跳びで5人が表彰台に登るという珍事が起きた。
15回を数える長い世界陸上の歴史の中で、表彰台に5人が登ると言うのは初めてだ。
上位6選手の内、5m90が2人、5m80が4人。
この6人の順位はどうやって決められたのか。
棒高跳びにはこういったルールがある。
1.同記録になった高さでの試技数が少ない方を上位とする。
・最後に跳んだ高さを何回目に成功したか。1回目に成功した選手が上位になる。
2.複数の選手の記録が同じになった場合は、その高さまでの失敗(無効試技数)が少ない方が上位となる。
・最後に跳んだ高さ以降の数は数えない。
5m90を成功したのは2人。
バーバーは5m90まで1度も失敗しない。
ホルツデッペは、5m90は3度目の試技で成功、5m80も1回失敗している。
よって優勝はバーバー、2位がホルツデッペ。
5m80を成功したのは4人。
ヴォイチエコフスキー、ラビレニ リセクの3人は跳び始めた高さは異なるが、5m80を1回目に成功。
3人とも5m80に至るまで一度も失敗していない。
一方、メナルドは5m80は3回目に成功した。
よって、ラビレニ、リセク、ヴォイチエコフスキーは3位タイ。メナルドは6位。
過去の五輪や世界陸上の棒高跳びの記録を調べていて面白いものを見つけた。
1976年のモントリオール五輪だ。
タデウス・スルシャルスキー(ポーランド)、アンティ・カリオマキ(フィンランド)、デーブ・ロバーツ(アメリカ)の3人が5m50を1回目に成功させた。
スルシャルスキーとカリオマキは5m55を3回失敗し競技終了。
ロバーツは5m50をパスし、一人だけ5m60に挑むも3回失敗し全競技が終了した。
では、順位はどうなったか。
ロバーツが5m35の1回目を失敗しているので3位。
スルシャルスキーとカリオマキは5m50まですべて1回目に成功している。
現在のルールであれば両者金メダルとなるはずだが、スルシャルスキーが金メダル、カリオマキの銀メダルとなった。
なぜか?
この当時、同じ記録ならば総試技数の少ない方が上位になるというルールがあった。
そのため、5m50を含めて3回の試技だったスルシャルスキーが上位、5回の試技だったカリオマキが下位となった。
この時代の棒高跳びは、試技数を如何に少なく競技を終えるかの駆け引きが重要だったのだ。
銅メダルに終わったロバーツは、5m50に成功した時点で試技数ではスルシャルスキーと並んでいたが、5m35で思わぬ失敗をしており、他の二人と同じように5m55に挑んでいては金メダルを獲れないと判断し、5m60に挑んだのだ。
アメリカは、近代五輪の第1回大会(1896年)から第19回(1968年)まで、棒高跳びに19連覇を続けていたが、モントリオール五輪の4年前、ミュンヘン五輪で初めて金メダルが獲れなかった。
金メダル奪回のプレッシャーが、想像以上にロバーツを固くしたと言われている。