早稲田大学新記念会堂も 東京五輪で使えばいい
2020年の東京五輪の競技施設の建設費用が、招致段階の3倍もかかることになり、何とか抑えようと必死になっている。
現在のような商業五輪がスタートしたのは、1984年のロサンゼルス五輪からだ。
五輪開催には莫大な費用を要し、引き受け手がほとんどい時代があった。
1976年大会に手を挙げたのは モントリオール、モスクワ、ロサンゼルス。
1980年は、モスクワ、ロサンゼルス。
1984年はついにロサンゼルスしか立候補しなかった。
ロサンゼルス市は立候補にあたって、市、カリフォルニア州、連邦政府からは1ドルも援助してもらわないで大会を運営することを約束。
使われた競技場は30近かったが、90%は既存の施設を利用した。
メーン競技場となったロサンゼルスメモリアルコロシアムは、1932年と1984年の2回の五輪のメーン会場という栄誉に預かった。
それでも、この大会のために新たに作られた競技場は2つあった。
一つはマクドナルドオリンピックスイムスタジアム。
南カリフォルリニア大学のキャンパス内に、屋外の長水路とダイビング用のプールが作られた。長水路のプールでは、競泳とシンクロナイズドスイミングが行われた。
世界的ハンバーガーチェーンのマクドナルドは、1983年から29年に渡ってプールの名前にマクドナルドの名前を冠することを条件に建設の費用を負担した。今でいうネーミングライツの走りのようなものだ。
プールは2013年に閉鎖された。
改装工事のため800万ドルを寄付したUSCの卒業生フレッド・ウイテングスの名前を付けて2014年にウイテングス・アクアティックスセンターとしてリニューアルオープンした。
五輪期間中には仮設のスタンドに毎日16000人もの観衆が詰めかけたが、現在は2000人ほどの観客席しかない。もちろん、屋根のない屋外競技場のままだ。
もう一つ新設されたのは、自転車競技トラックの会場となったセブン-イレブン・ベロドローム。
こちらはカリフォルニア州立大学ドミンゲスヒルズ校のキャンパス内に作られた。
米国のセブンイレブンは、1991年に経営破綻しているが、1991年以降ベロドロームが何という名前だったかは判らない。が、ベロドロームは2003年まで使われ、現在は閉鎖となっている。
米国が凄いところは、各大学が驚くほどのスポーツ施設を持っていることで、十分に国際試合に対応できるということ。
先述のロサンゼルスメモリアルコロシアムも実はUSCの持つスタジアムである。
9万人以上のキャパシティを持つ競技場が大学の施設だなんて、日本の常識では考えられない。
1964年に行われた東京五輪の競技施設の中にも大学の施設が2つある。
ひとつは、東大検見川総合運動場で、近代五種のクロスカントリーが行われた。
もうひとつは早稲田大学記念会堂で、フェンシングが行われている。
東大の検見川総合運動場のことは全然知らないが、早稲田大学記念会堂のことはよく知っている。
早稲田の入学式も卒業式もここを使う。
この講堂は1957年に大学創立75周年を記念して造られた建物だ。
記念会堂の一角に銘板があり、フルーレ、エペ、サーブル各種目の金メダリストの名前が刻まれていた。
私の在学当時、この銘板は既にかなり古びており、東京五輪なんて大昔の出来事、という思いがあったが、誇らしくもあった。
この早稲田大学記念会堂が、建て直されることになった。
8月2日を持って、使用が打ち切られ、2019年に新たな記念会堂がオープンする。
新記念会堂の地下には、多目的スポーツアリーナが設けられるという。
観客席は1824席だが、式典使用時には6136人を収容できるという。
旧記念会堂の式典時の収容人数が5150人だったので、ひとまわり大きくなる。
とは言え、新記念会堂は残念ながら2020年の東京五輪とは何の関係もない。
そういえば東京五輪組織委員長も、文部科学大臣も早稲田大学の卒業生ではなかったか?
一から東京都が五輪のために新たな競技施設を造るのではなく、大学の体育館の新設、改築にタイアップする方法もあったのではないかと思う。