ハンドボール女子日本代表 リオ五輪への道
▼初めての五輪正式種目 1976年
ハンドボールは、1936年のベルリン五輪で男子のみ正式種目に採用されたが、戦後は長い間五輪では行われず、1972年に復帰となる。そして、その4年後1976年モントリオール五輪で、女子も正式種目となった。
このとき女子のハンドボールに出場した国は僅かに6カ国、日本はアジア代表として参加するも5位に終わった。
この大会以降本大会出場がない。
このモントリオール五輪のアジア予選は、日本で開催された。 しかも対戦相手がイスラエルであったため、複雑な中東情勢によるテロを配慮して、試合は会場も公表されない「無観客試合」で行われた。
この話はときどきメディアに顔を出す。
30年以上昔の話であり、多くの記録が残っていない試合であるためか、誤って伝えられている。
実際には、五輪予選ではなく、1975年に旧ソ連で行われた世界戦手権のアジア予選だった。
西アジア代表がイスラエル、東アジア代表が日本で、その内の1カ国が世界選手権へ、ということだったようだが、イスラエルはアラブ諸国から対戦を拒否され、何もしないで西アジア代表になった。
一方の日本も、今でこそハンドボール強国の韓国も当時はあまりに弱く、予選に参加することはなかった。
中国は未だIOCに復帰しておらず、ほかに東アジアで予選に出てくる国はなく、日本とイスラエルが出場権を争ったのだという。
2試合行われた日本対イスラエルの試合は、19-4、22-8で日本がともに勝利し、世界選手権の切符を手にした。
世界選手権では、上位4カ国 東ドイツ、ソビエト、ハンガリー、ルーマニアが五輪出場権を手にし、10位に終わった日本は、米国・ミルウォーキーで行われた世界最終予選にコマを進むことになる。
世界最終予選は、アメリカ(米大陸)、チュニジア(アフリカ)、日本(アジア)の3カ国から1カ国のみが五輪出場権を得るというシステムで、地力に勝る日本が、アメリカ、チュニジアを下し、最後の五輪出場権を手にした。
モントリオールの五輪本番で日本は、開催国のカナダに15-14と1点差で辛勝し5位、最下位を免れた。
ちなみにこの大会の日本女子の球技は、女子バレーが金メダル(8カ国参加)、女子バスケットが5位(6カ国参加)。
さらにいうならば、カナダ女子はバレー8位、ハンドボール6位、バスケット6位と実施された3種目のいずれも最下位というおまけが付いた。
▼中東の笛に振り回される 2008年
『中東の笛』を覚えているだろうか。
ハンドボールの国際試合で、審判が露骨なまでに中東諸国有利に笛を吹き、思うがままに勝敗を決めていた事象とをいう。
2007年8月にアルマトイで行われた女子の北京五輪アジア予選は、①カザフスタン②韓国③日本の順になり、カザフスタンが五輪出場権を得た。
ところが、この後『中東の笛』が問題になり、国際ハンドボール連盟は再試合を決定、2008年1月に東京で日韓が争い、34-21で韓国が勝利し、五輪出場権を手にしたかに見えた。
が、スポーツ仲裁裁判所はこの試合を無効と認定、五輪出場権は、カザフスタンの手に戻ってしまった。
2008年3月に行われた最終予選は、12カ国が参加、4カ国ずつ3組に分かれ、各組上位2カ国が五輪出場権を得る。
日本はルーマニアに負け、ポーランドに勝ち、ハンガリーに負け32年ぶりの五輪出場はならなかった。
一方、同じく最終予選に回っていた韓国はコンゴに勝ち、フランスに引き分け、アイボリーコーストに勝ち7大会連続の五輪出場を果たした。
▼リオ五輪予選
リオ五輪の予選は、日韓が25日に対戦、勝てば五輪切符を手にし、負ければ世界最終予選に回る。
ハンドボール女子の五輪での実績は韓国が圧倒的にリードしている。
日本が40年間五輪出場を果たしていないのに対して、韓国は88年、92年に金メダル、84年、96年に銀メダルロンドン五輪も4位に入った。
2015年9月に行われたアジア選手権決勝でも日本は22-36と完敗した。
現在の女子日本代表のゴールキーパーに、明らかに白人系の選手がいる。
亀谷さくら28歳。
ノルウェーの強豪バイパークリスチャンセンで正GKとして活躍中
Sakura Haugeとしてノルウェーでは知られているプロ選手だ。
父はノルウェー人、母は日本人。
日本国籍所持を知った栗山監督が直接口説き落としたらしい。
スポーツ紙では日本代表の秘密兵器と書かれている存在だ。
果たして「さくら」は韓国戦で日本のゴールを守りきれるだろうか。