オリンピックを惑わす帰化選手
カタールのドーハで、男子ハンドボールのリオデジャネイロ五輪アジア予選が行われている。
1次リーグが終了し、準決勝へと進んだのはA組1位バーレーン、2位韓国、B組1位カタール、2位イラン。
準決勝はバーレーンとイラン、カタールと韓国がそれぞれ対戦し、勝ち残りの1カ国だけが五輪出場権を得、2~3位は世界最終予選に回ることになる。
日本代表は27-31でイランに敗れ、B組3位となり、リオ五輪出場を逃した。
これで7大会連続で五輪出場を果たせなかったことになる。
順当に行けばカタールが勝って、初の五輪出場を決めるだろう。
カタールは、何と言ってもほとんどの選手が帰化及び二重国籍選手の世界選抜軍団。
今年の世界ハンドボール選手権でもフランスを相手に準優勝、あわやというところまで追いつめた。
同じようなことは他の国でも頻繁に行われている。
ロンドン五輪に初出場したトルコの女子バスケットボール代表チームは、米国出身の196㎝のセンター・・ホリングスワースやブルガリア出身のNevriyeユルマズ194㎝がいた。
これまで、五輪どころか、世界選手権にも出場したことのなかったトルコが、ロンドン五輪で8位タイになった。
当時、2020年夏季五輪にイスタンブールが立候補していたトルコは、様々な競技の国際競争力を上げることは、招致活動をスムースに進めると考えていたのだ。
バスケットと言えば北京五輪のロシアのバスケット代表チームに、2人の変わったプロフィールの選手がいたことは、日本ではほとんど知られていない。
アメリカからロシアに帰化したバスケットボールの選手がいたのだ。
ひとりは、ジョンロバート・ホルデン。
J.R.ホルデンと呼ばれるアフリカ系のピッツバーグ生まれのアメリカ人。
アメリカではプロのバスケットボール選手になれなかったホルデンは、ラトビア、ベルギー、ギリシアを経てロシアに渡り、名門CSKAモスクワに入団した。
CSKAモスクワは、2005-2006年シーズンにヨーロッパクラブ王者になり、このときのホルデンの活躍は、プーチン大統領の目に留まった。
ポイントガードに恵まれていなかった『ロシア代表のために帰化をしろ』、プーチンの後押しで、ホルデンは僅か10分でロシア国籍を取得、ロシア語も話せないままロシア代表に入る権利を手にした。
肝心の北京五輪でロシアは9位に終わったため、ホルデンのことは話題にもならなかったが、アシストランキングでは2位になった。
一方、女子のロシア代表にはレベッカ・ハモンというやはりアメリカからロシアに帰化した選手がいて、ロシアの銅メダル獲得に貢献した。
ロシアはスポーツでの国威発揚のためには、比較的簡単にロシア国籍を出すということだ。
2006年のトリノ五輪のショートトラックで3つの金メダルを獲得した韓国の安賢洙が、韓国代表を追われ、8年後のソチ五輪にロシア代表のビクトル・アンとして再び3つの金メダルを獲ったことはまだ記憶に新しい。
が、日本も同じことをしている。
1998年の長野五輪のアイスホッケーの日本代表には、7人の帰化をした日系カナダ人がいたし、70年代の女子バレーの大エースも帰化選手だったのだ。
●参考記事 カタール代表 世界ハンドボールで準優勝