女子初の五輪同一種目4連覇をめざす吉田沙保里と伊調馨
リオデジャネイロ五輪で内外から注目されているのが、女子選手初の同一種目4連覇がなされるかどうか。
その選手は吉田沙保里と伊調馨の2人だ。
100年を超える長い近代五輪の歴史の中でも、同一種目4連覇を果たしたのは
アルフレッド・オーター(米国)陸上・円盤投げ(1956・60・64・68年)
カール・ルイス(米国)陸上・走り幅跳び(1984・88・92・96年)
の2人しかいない。
吉田と伊調が果たせば、女子選手初、レスリング初の快挙ということになる。
これまで、女子選手初の4連覇に最も惜しかった選手を紹介しよう。
山本宏美さんというスケーターがいた。
1994年のリレハンメル五輪女子5000mで銅メダルを獲った。
男女を通じて日本人の長距離で唯一のメダリストだ。当時23歳。
このとき金メダルを獲ったのが、この2年前のアルベールビル五輪では銅メダルを獲ったドイツのクラウディア・ペヒシュタイン、当時22歳。
山本は1995年に現役を引退、翌1996年に王子製紙で同僚だったアイスホッケー選手の山中武司(現王子監督)と結婚をした。
一方のペヒシュタインが凄かったのはここからだ。
26歳の長野五輪では5000mに金メダル、3000mに銀メダル。
30歳のソルトレークシティでは3000m、5000mともに金メダルを獲得。
34歳で迎えたトリノ五輪では、冬季五輪初の、そして女子選手初の同一種目4連覇がかかっていた。
ところが、2連覇を目指していた2月12日の3000mは5位。
16日に新種目として始まった女子パシュートでドイツの優勝に貢献し、5度目の五輪で4大会連続となる金メダルを獲得。
しかし22日の1500mは気候変化で持病のぜん息が悪化し、欠場を余儀なくされた。
4連覇をかけた女子5000mは2月25日に行われた。
最終組でクララ・ヒューズと同走。
前半はリードしていたが徐々に詰められ、最後の2周で逆転され、2位に終わった。
このとき「わたしは機械じゃない。2番でも素晴らしいわ」とインタビューで答え、引退をほのめかしたが、一転、現役を続行。
が、ドーピング違反を問われ、2年間の資格停止処分を国際スケート連盟から受け、2010年のバンクーバー五輪に出場することは出来なかった。
ただし、後にドーピングではなく遺伝によるものであるという診断を得て、競技に復帰。
41歳でソチ五輪に出場するが、3000mは4位、5000mは5位でメダルには届かなかった。
生涯獲得メダルは金5、銀2、銅2に上る。
●冬季五輪で3連覇を達成した選手
ギリス・グラフストローム フィギュアスケート男子シングル SWE 1920、24、28年
ソニア・へニー フィギュアスケート女子シングル NOR 1928、32、36年
イリーナ・ロドニナ フィギュアスケートペア 旧ソ連 1972、76、80年
ウルリヒ・ベーリング ノルディック複合個人 旧東独 1972、76、80年
ボニー・ブレア スピードスケート女子500m 米国 1988、92、94年
ゲオルク・ハックルクル リュージュ男子一人乗り ドイツ 1992、94、98年
クラウディア・ペヒシュタイン 女子スピードスケート ドイツ 5000m 1994、98、02年