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February 24, 2016

新・五輪招致の記憶(8)パリ バルセロナに敗れる 1992年夏季五輪

2024年夏季五輪にパリ、ロサンゼルス、ローマ、ブダペストの4都市が立候補した。
パリとロサンゼルスの一騎打ちになるだろうと見られる。
パリは過去に1900年と1924年の2回の五輪開催経験があり、2024年は2回目の開催から丁度100周年となる。
1924年のパリ五輪といえば、映画『炎のランナー』(Chariots of Fire1981年公開のイギリス映画)の舞台となった五輪だ。
4年前のロンドン五輪の開会式では、セント・アンドリュースのウエストサンド沿いをランナーたちが走る有名なシーンの映像が会場に上映されたが、その映像の中にMr.ビーンことローワン・アトキンソンが登場した。
見ていて思わず顔が綻んだが、厳格な五輪開会式中のユーモア、2020年の東京五輪でああいった
真似はできないだろう。

一方、ロサンゼルスは1932年と1984年の2回、ローマは1960年に開催経験があるが、ブダペストは初の開催を目指す。

パリは、第二次大戦後の五輪招致においては苦労している。
1992年、2008年、2012年にも立候補しているがなかなか開催都市に選ばれないのだ。
今回は、1992年の招致について振り返ってみたい。

現在は、夏季五輪の中間年に冬季五輪が開催されているが、1992年までは同一年に冬季、夏季五輪の両方が開催された。
開催地を決めるのも同一のIOC総会だった。

1992年の冬季五輪に立候補したのは
 アルベールビル(フランス)、ソフィア(ブルガリア)、ファルン(スウェーデン)
 リレハンメル(ノルウェー)、コルティナダンペッツォ(イタリア)
 アンカレッジ(アメリカ)、ベルヒテスガーデン(西ドイツ)の7都市。

1992年の夏季五輪に立候補したのは
 バルセロナ(スペイン)、パリ(フランス)、ベオグラード(ユーゴスラビア)
 ブリスベン(オーストラリア)、バーミンガム(イギリス)、アムステルダム(オランダ)の6都市。

何と、フランスは冬季と夏季のどちらにも立候補したのである。
1992年は近代五輪の父であるフランス人のクーベルタン男爵がパリで近代五輪を提唱してから100周年にあたるので、これを祝うことはパリの義務であると立候補することを決めた。
また、冬季・夏季五輪が同一年に開催される最後の大会となることから、冬季・夏季の両方ともにフランスで開催したいと考えた。

ところが、最大のライバルと見られていたバルセロナは、当時のIOC会長アントニオ・サマランチ氏の出身地である。
1992年はコロンブスがアメリカ新大陸を発見してから500周年にあたる。コロンブスが大西洋を航海し帰って来た港がバルセロナだった。
コロンブスはその死後、セビリアに葬られており、スペイン政府は1992年に、五輪と合わせてセビリア万博をも招致した。

現役IOCの会長の出身地が夏季五輪に立候補!
IOC委員にとって会長に半旗を翻すことは難しい。
焦るパリは、シラクシラク首相兼パリ市長自らがIOC事務局長のフランス人、ベルリュー女史を引き抜いてパリ五輪招致委の顧問に据えた。
ベルリュー女史IOC内における存在感はこの上なく大きく、時に会長以上と言われる発言力があった。

パリの最大の敵は、バルセロナではなくて、冬季大会に立候補している同じフランスのアルベールビルだと言われていた。
冬季・夏季の両五輪をフランスが同時に勝ち取っても良いのか?
しかも1968年の冬季五輪を開催したフランスのグルノーブルは、アルベールビルから100キロと離れておらず、グルノーブル五輪のアルペン3冠王のジャン・クロード・キリーが、招致の顔として孤軍奮闘している。

投票は1986年10月17日 冬季、夏季大会の順で行ってから結果が公表された。
アルベールビルは、ほぼ間違いなく勝つだろう。アルベールビルの開催が先に決まり、夏季大会がバルセロナとパリで決戦投票持ち込まれた場合、パリは不利になるとメディアは予想した。

冬季大会は、実に6回の投票でアルベールビルが逆転勝ち。
第1回投票はソフィア(ブルガリア)が25票でトップ、アルベールビルは19票で2位だったが、最低得票の都市を落として投票を重ねるごとにアルベールビルが首位をとり、最後の6回目の投票ではアルベールビル51票、ソフィア25票、ファルン(スウェーデン)9票だった。

夏季大会の投票は、やはりバルセロナとパリの争いとなった。
2都市とも2度の投票まで過半数に達しなかったが、終始首位だったバルセロナが3回目に47票を集め、パリの23票を下した。

フランスはなぜ冬季五輪と夏季五輪の両方に立候補したのか。
疑問はやはりここに来る。
結果論でしかないが、バルセロナ招致を成功させたサマランチ会長は、自らの眼鏡に適った人物をIOC委員にし、五輪の商業化と肥大化を進め、ついにはIOCスキャンダルを巻き起こすのだが、それはまた別の機会に触れたい。

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