夏季・冬季両五輪とサッカーW杯にも出たスヴェン・ベルクヴィスト
1936 Garmisch-Partenkirchen
1936年のベルリン五輪は、ヒトラーが国威発揚のために開催した五輪として、今日に至るまで鮮烈に記憶されている。
サッカー競技に始めて出場した日本代表は、事実上の国際デビュー戦。
極東からやってきた男たちが、優勝候補スウェーデンに3-2で勝利し、「ベルリンの奇跡」と語り継がれている。
負けたスウェーデンにとっても忘れがたい記憶として残っており、「Japaner, Japaner, Japaner(日本人、日本人、また日本人)」というラジオのアナウンサーの連呼は、やがてスウェーデンにおいて、大変驚いたときに、今でも使われるフレーズになっている。
(日本1勝1敗ベスト8、スウェーデン1敗ベスト16 16カ国参加)
このときのスウェーデン代表チームに、凄い選手がいた。
GKのスヴェン・ベルクヴィストがその人だ。
1935年から1943年までスウェーデン代表を務めた。
出場した国際Aマッチ35試合には、1936年のベルリン五輪だけでなく、1938年のFIFAワールドカップ・フランス大会も含まれる。
このときのスウェーデン代表は、1回戦で当たるはずだったオーストリアが、この年3月にドイツに併合され不戦勝となるハプニングもあったが、準決勝まで進出、イタリア、ブラジルに敗れたが4位となった。
夏季五輪とW杯の両方に出場した選手は、たくさんいる。
が、ベルクヴィストが凄かったのはこれからだ。
サッカーと並行してアイスホッケー選手としても活躍していた。
その実力は高く、スウェーデン代表としてベルリン五輪の半年前に開催された、ガルミッシュパルテンキルヒェン冬季五輪にも出場した。
面白いことにスウェーデン代表は、予選リーグD組で日本代表と対戦し、2-0で日本を下し順決勝リーグに進んだ。(最終順位6位、日本は0勝順位なし)
さらに、1948年サンモリッツ冬季五輪には、スウェーデン代表監督として出場している。
(9カ国参加4位、*戦争責任からサンモリッツ五輪に日本は招待されていない)