東京五輪の走り高跳び金メダリスト ヨランダ・バラシュ 3月11日に逝く
先日、下記のような記事が朝日デジタルに載った。
ルーマニア陸上連盟は11日、女子走り高跳びで1960年ローマ、64年東京両五輪を連覇した同国のヨランダ・バラシュさんが死去したと発表した。79歳だった。
バラシュさんは世界記録を14度マーク。61年に出した1メートル91の世界記録は10年間破られなかった。67年に引退した後はルーマニア陸連の会長も務めた。(AFP時事)
朝日の紙面を確認したが、出ていない。
どうやらWEBのみの記事のようだ。
ヨランダ・バラシュ、陸上史に残る大選手なのに・・・。
男子の走り高跳びは第1回近代五輪の1896年から、女子も1928年から続いている種目だ。
この長い歴史の中で、五輪2連覇を果たした選手は一人しかいない。
それがヨランダ・バラシュである。
今は更地になってしまった東京の旧国立競技場の表彰台の真ん中に立った一人でもある。
この当時、多くの走り高跳びの選手は正面跳び(ロールオーバー)が多かった。
斜めから走ってバーに近い方の脚で踏み切り、身体をバーの上で横にして回転しながら越えるフォームだ。
正面跳びから派生したのがベリーロール。ロールオーバーのように踏み切った後、バーの上で腹を下にしてバーを越える。
今では、誰もがやっている背面跳びは、東京五輪の4年後、メキシコ五輪でディック・フォスベリーが初めて披露しており、東京五輪当時はだれも思いついていない。
ヨランダ・バラシュは長身で、185センチあった。
東京五輪当時、東洋の魔女の女子バレーチームの最長身が、葛西昌枝さんの173センチであることを考えれば、ヨランダ・バラシュの並外れた長身ぶりが判るだろう。
19歳で出場した1956年メルボルン五輪では1m75の世界記録保持者だったが、1m67で5位に終わった。
が、翌1957年から1967年にかけて五輪2連覇を含め150連勝、世界記録は1m75から1m91まで14回更新した。
ローマ五輪の翌年の1961年に出した1m91の世界記録は、その後10年間破られなかったという。
YOUTUBEにヨランダ・バラシュの動画あるので探してみてほしい。
ここまで完璧な正面跳びは見たことがない。
東京五輪で金メダルを決めた跳躍の動画もあるのだが、成功した瞬間、日本人の審判が皆うれしそうに笑みを浮かべる。
ルーマニア五輪史上初めての女子金メダリストだった彼女は、引退後ルーマニア陸上競技の会長を1988年から2005年までの長きに渡って務めた。
1991年に開催された世界陸上東京大会にももちろん来日し、国立競技場の思い出の土を踏んでいる。
2013年9月、2020年の五輪が東京に決まったことを受けてのインタビューを見つけた。
但し、ルーマニア語だ。
五輪が欧州、南米を経てアジアに来ることは自然な流れだけど、日本にとって地震と津波のあとの手助けとなる決定だ。
日本は今の沈んだ気持ちを再び持ち上げるだけの国であると思う、とエールを送っている。
震災の日、3月11日に亡くなったのも縁かもしれない。