バスケット米国五輪代表は通算124勝5敗、金メダル獲得14回
ある競技に対してひとつの国が圧倒的に強いことが、現代のオリンピックでもある。
中国の卓球、韓国のアーチェリー、パキスタンのホッケーなどいくつか思い浮かぶが、やはりなんといってもアメリカの男子バスケットボールではないだろうか。
1936年ベルリン大会でバスケットが五輪正式種目採用されてから、2012年のロンドン大会までにアメリカは124勝5敗、勝率96%、金メダル獲得14回。
だが、4回金メダルが獲れなかったことがある。
バスケット王国アメリカにとって、オリンピックの金メダルなど、大学生の良い選手を集めれば金メダルは十分に獲れるという競技だった。
かつてオリンピックは、厳格なアマチュアリズムの規定にも縛られ、当然プロ選手に門戸は開放されていなかった。
1972年ミュンヘン大会、このときのアメリカチームは学生界のセカンドチーム的なメンバーだった。それでも全く他チームの相手になることなく、決勝まで駒を進めた。
対する相手は、ソビエト式選手育成法がピークに達する直前のソ連。冷戦華やかなりし時代に当然のように米ソが激突したのである。
アメリカは劣勢の試合に終始するも終了3秒前にフリースローでソ連を1点差で逆転、ここで試合終了かと思われた。が、フリースローの前にソ連がタイムアウトを要求していたとして時計は3秒前に戻される。ソ連のインバウンズパスは失敗、アメリカは再び勝利に沸くが、FIBA(国際バスケットボール連盟)会長のW・ジョーンズの指示でなぜか時計は再び3秒前に。ソ連のロングパスからゴールが決まり、アメリカがオリンピック史上初めて敗戦を味わうことになった。
この2回のタイムリセットは不当だとして、アメリカは銀メダルの表彰台をボイコット。銀メダルは現在でもミュンヘン市の銀行の倉庫に保管され、当時のアメリカ関係者は今も優勝はアメリカであると信じている。
4年後、モントリオール大会に万全に合わせてきたアメリカに対し、ソ連は準決勝でユーゴスラビアに不覚、アメリカはソ連と対戦することなく金メダルを獲得。
さらに4年後、モスクワ大会にアメリカは現れず、金メダルはイタリアを下したユーゴスラビアが獲得。その4年後のロサンゼルス大会にソ連は現れず、金メダルはスペインを下したアメリカが獲得。
ミュンヘン以来の、オリンピックでの米ソ対決は1988年のソウル大会まで、16年待つことになる。
その頃、ヨーロッパはバスケットボールの第2のメッカになり、ヨーロッパ出身の選手がアメリカの大学からNBAに入るケースも目立つようになってきた。
ソウル大会、アメリカの準決勝の相手はソ連。ソ連にとっても8年振りのオリンピックの舞台、またソ連にはサボニス、トカチェンコという2m級のセンターや後にNBAでも活躍する選手も含まれていた。
そして76-82。アメリカは16年前に続いてソ連に敗れたのである。
ソウルでの敗戦により学生選抜チームの限界を悟ったこと、ちょうどオープン化を図り、最高のスポーツ選手の集う祭典へと変貌を遂げつつあるオリンピックの変革期にぶつかったこともあり、さらに4年後のバルセロナ大会にはドリームチームが登場してくるのだ。
アメリカとヨーロッパ勢やアルゼンチンとの力の差は縮まっている。
アテネオリンピックのバスケットボール男子は、アルゼンチンがイタリアを下して優勝した。
3位決定戦でアメリカに敗れたリトアニアが4位、5位ギリシア、7位スペイン、11位にセルビアモンテネグロが入り、欧州勢の活躍が目立った。
大会直後のスポーツイラストレーテド誌は、次のように書いている。
70年代に自己満足していたアメリカ自動車産業に、日本メーカーが突如目覚ましコールを持ってやって来た。アメリカのバスケットボール界が、今そうしなければならないように、海外との競争から多くを学ばなければならなかった。
バスケットボールは、1992年のバルセロナ大会にNBAのドリームチームが出場し、圧倒的な強さを示すとともに、世界中のバスケットボール界を変えた。
バルセロナオリンピックに出場できなかったアルゼンチンが、バルセロナをきっかけに一貫教育を始め、アテネで金メダルを獲った。
一方、組織作りの上手い欧州には、NBAやNCAAにも負けない強力なリーグを作った。
欧州バスケットボールリーグ運合(ULEB)はスペイン、フランス、イタリアのプロリーグが中心となって1991年にバルセロナを本部に設立された。
アマチュアや女子も統括する国際バスケットボール違盟(FIBA)とは全く異なる組織で、男子プロバスケットの発展を目指している。
現在15カ国・地域のプロリーグに所属する60チームが加盟し、ユーロリーグ、ULEBカツプの2大会を主催している。
ユーロリーグは、ちょうどサッカーのチャンピオンズリーグのように、各国内リーグとは別に、有力チームが国境を越えて試合を繰り広げている。
さて、1991年のソ連解体のあと、その後継であるロシアはバスケットボールでは振るわず、米露戦は、2000年のシドニーオリンピックの準々決勝で85-70でアメリカが勝利して以降ない。
ロシアはロンドンオリンピックで、ソ連時代のソウル五輪以来のメダル(銅)を獲ったが、今年のリオデジャネイロオリンピックの出場権は得られなかった。
筆者は、ソ連の後継はむしろリトアニアではないかと思っている。
ソ連時代もバスケットチームの主力は、リトアニア人だったことはよく知られていることで、ソ連から独立した1992年以降の7回の五輪にすべて出場し、銅メダル3回を含め、5大会で4強以上になっている。
もちろん、リオデジャネイロオリンピックの出場権は、2枚しかない欧州代表の席をスペインとともに既に得ている。
●五輪男子バスケット米ソ(露)対決の歴史
1992年のバルセロナ五輪でソ連を構成していた15カ国の内、バルト3国は独自に選手団を構成し、他の12カ国は旧ソ連の合同チームEUNとして参加した。