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July 15, 2016

リオ五輪 日本選手団最長身はだれだ?

リオデジャネイロ五輪日本選手団の旗手は、陸上十種競技の右代啓祐が務める。
身長196cm体重95kgの堂々たる体格である。
ほぼ確定した今回の日本選手団の中で最長身である。
二番目に背が高いのは女子バスケットの渡嘉敷来夢と競泳平泳ぎの渡辺一平の193㎝。
柔道100キロ超級の原沢久喜191cmが続く。
男子のバスケットボールもバレーボールも出場権が獲れず、水球やラグビーにもこの4人を超える選手はいないようだ。

右代啓祐の196㎝というのは、1964年の東京五輪で活躍した外国人選手というとアントン・ヘーシンク(2010年没)と同じ。(体重は東京五輪時には120㎏だったようだが、身長は192㎝、196㎝、198㎝と諸説ある。)
ヘーシンクに敗れた神永昭夫さん(1993年没)は179㎝102㎏。体格でも圧倒していた。

ヘーシンクは柔道が初めて五輪に採用された東京五輪柔道無差別級で、日本の神永昭夫を破って金メダルを獲ったオランダの選手だが、東京五輪の3年前、1961年の第3回世界柔道選手権で、日本人以外の選手として初めて優勝した選手でもある。
当時のヘーシンクの強さは抜きんでており、東京五輪でもヘーシンクには敵わないと関係者は感じていたようだ。

 
実は、東京五輪の日本選手団に身長がヘーシンクに匹敵する人物が二人いた。
一人はバスケットボールの小玉晃さん(当時20歳197cm)、もう一人が南将之さん(当時23歳196㎝2000年没)。
小玉が東京五輪の日本人選手最長身、南がメキシコ五輪の日本人選手最長身である。

以下東京五輪以降の日本人最長身選手を挙げてみた。

●日本選手団最長身選手
1964年 小玉晃 バスケットボール 197cm
1968年 南将之 バレーボール 196㎝
1972年 沼田宏文 バスケットボール 205cm
1976年 沼田宏文 バスケットボール 205cm
1980年 蒲生晴明 ハンドボール 192㎝ 但し日本は不参加。
1984年 岩田稔 バレーボール 197㎝
1988年 蔭山弘道 バレーボール 200㎝
1992年 大竹秀之 バレーボール 208㎝
1996年 小川直哉 柔道 193㎝
2000年 篠原信一 柔道 190㎝
2004年 平山相太 サッカー 190㎝
2008年 齋藤信治・山村宏太 バレーボール 205cm
2012年 朝日健太郎 ビーチバレー 199cm

1979年の中国のIOC復帰、1981年のソウル五輪の開催決定を機に中韓がスポーツ強化を図るようになり、また最近はイランとカタールが各球技ともに急速に強くなり、日本の団体球技の五輪出場が難しくなっていった。
そのため長身の日本人選手の五輪出場も少なくなっている。

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