« リオ五輪のハンマー投げは32年ぶりに80m超ならず | Main | 体操の技にはなぜ人の名前が付いているのか? »

August 28, 2016

陸上競技でアジア大会を制し、2年後に五輪金メダリストになった選手たち

ハンマー投げ金メダリスト、タジキスタンのナザロフが14年の仁川アジア大会で優勝し、2年後の五輪で金メダルを獲ったという記事を前回書いた。
世界に比べてアジアのレベルが高くない陸上今日でも、同様のケースはいくつかある。

●1998年バンコクアジア大会-2000年シドニー五輪
*高橋尚子(日本)女子マラソン
アジア大会2:21:47、五輪2:23:14
*オルガ・シシギナ(KAZ)100m障害
アジア大会12秒63、五輪12秒65

●2002年釜山アジア大会-2004年アテネ五輪
*劉翔(中国)110m障害
アジア大会13秒27、五輪12秒91
*室伏広治(日本)ハンマー投げ
アジア大会78m72、五輪82m91

●2010年広州アジア大会-2012年ロンドン五輪
*オリガ・リパコワ(KAZ)女子三段跳び
アジア大会14.53m、五輪14.98m

そして今回の
●2014年仁川アジア大会-2016年リオデジャネイロ五輪
*王鎮(中国) 男子20㎞競歩
*劉虹(中国) 女子20㎞競歩
*ジルショド・ナザロフ(タジキスタン) 
アジア大会78m55、五輪78.68m


上記以外には男子マラソン黄永祚(韓国)が92年バルセロナ五輪-94年広島アジア大会ともに金メダル。
中国の灰色長距離ランナーの王軍霞が、94年アジア大会の10000m優勝-96年アトランタ五輪5000m金メダル、10000m銀メダルというケースもある。
ただし、王軍霞はほぼドーピングをしていたことは間違いないところで、彼女の持っていた10000mの世界記録は、リオ五輪でアルマズ・アヤナ(エチオピア)が29:17.45の記録で破るまで13年間不滅の記録として君臨していた。

|

« リオ五輪のハンマー投げは32年ぶりに80m超ならず | Main | 体操の技にはなぜ人の名前が付いているのか? »