22歳になった高木美帆
スピードスケートは五輪で男子、女子ともに5種目ずつ実施されている。
男子は1976年に1000mが追加され、女子は1988年に5000mが追加されて5種目になっている。
もっとも女子のスピードスケートは1960年から始まり、1924年から正式種目である男子よりも歴史は短い。
近年、種目の専門化が進み、短距離と長距離の両方こなす選手はいなくなった。
1980年、レークプラッシド五輪で500mから10000mまですべて金メダルを獲ったのはエリック・ハイデン。
実は、最近まで全種目制覇は五輪史上ハイデンが唯一、と思っていたが、もう一人いた。
1964年のリディア・スコブリコーワ(旧ソ連)である。
この時代はの女子は5000mが未実施であったため、4冠王ということになる。
▼4冠王スコブリコーワ
スコブリコーワは、冬季五輪史上女子のスピードスケートが最初に採用された1960年のスコーバレー五輪の1500mと3000mで金メダルを獲った。
元々は中長距離が得意だったようだ。
1964年のインスブルック五輪の前年、1963年に軽井沢で開催された世界選手権で500m、1000m、1500m、3000mの4種目制覇をやってのけると、インスブルック五輪での4冠の期待が膨らみ始めた。
五輪初日に苦手な500mで同僚のエゴロワに0.4秒差で圧勝すると、4冠達成はいとも簡単に成し遂げられた。
スコーバレー五輪での2個の金メダルと合わせ、冬季五輪6個の金メダルは今も最多タイとして記録に残る。
このインスブルック五輪3000mでHan Pil-Hwa(韓弼花)という選手が銀メダルを獲っている。
この選手は北朝鮮の選手で、五輪のスピードスケート史上アジアで最初にメダルを獲った選手である。
▼22歳になった高木美帆
2010年のバンクーバー五輪に15歳で日本代表に選ばれたのが高木美帆。
1000mが35位(最下位)、1500mが23位と振るわなかったが、当時は中学3年生、史上最年少の日本代表選手と騒がれた。
順調に成長するかと思われたが、19歳で迎えた2014年のソチ五輪は代表落選。
が、日体大4年になった現在は、オールラウンダーとしてスケート界の中心にいる。
先に行われた全日本選手権で全4種目で優勝の完全優勝で、田畑真紀以来14年ぶり史上7人目の快挙を達成した。
全日本選手権女子は500m、3000m、1500m、5000mの4種目で、五輪で行われる3000mは実施しない。
●全日本選手権で全4種目で優勝の完全優勝を達成した選手
江島八重子
渡辺公子
高見澤初枝
鷹野靖子
橋本聖子
田畑真紀
高木美帆