クラウディア・ペヒシュタイン45歳 7度目の五輪へ
山本宏美さんというスピードスケートの選手がいた。
1994年のリレハンメル五輪女子5000mで銅メダルを獲った選手だ。
男女を通じて日本人の長距離で唯一のメダリストだが、当時23歳。
このとき金メダルを獲ったのが、この2年前のアルベールビル五輪では銅メダルを獲ったドイツのクラウディア・ペヒシュタイン、当時21歳。
山本宏美さんが1995年に現役を引退したのとは対照的に、ペヒシュタインが凄かったのはここからだ。
25歳の長野五輪の5000mで金メダル、30歳のソルトレークシティ五輪5000mでも金メダルを獲得。
33歳で迎えたトリノ五輪では冬季五輪初の、そして女子選手初の同一種目4連覇がかかっていた。
ところが、2連覇を目指した12日の3000mは5位に終わっていた。16日新種目の女子パシュートでドイツの優勝に貢献し、5度目の五輪で4大会連続となる通算5個目の金メダルを獲得。
しかし、22日の1500mは気候変化で持病のぜん息が悪化し欠場を余儀なくされた。
4連覇をかけた女子5000m 最終組でクララ・ヒューズと同走。
前半はリードしていたが徐々に詰められ、最後の2周で逆転され、2位に終わった。
37歳で迎えようとしていたバンクーバー五輪の前年、2009年2月のノルウェーで行われた世界選手権の後、ISU(国際スケート連盟)は、ペフシュタインにドーピング違反を認め、2年間すべての大会への出場停止処分を下した。
網状赤血球のレベルが異常な値を示していたため、薬物違反を疑われたもので、本人は先天的な問題でドーピングによるものではないと主張し、出場停止と断固として戦った。
このケースは、状況証拠のみに基づくドーピング違反の最初のケースであったが、その後の、彼女に対して行われたドーピング検査で、禁止された物質が見つかったことはない。
40歳を前にしての、出場停止処分であり、誰もがこのまま引退するものと思っていたが、2011年2月に競技へ復帰。
41歳で迎えた2014年ソチ五輪では、1500mに19位に終わったものの、3000m4位、5000m5位に入った。
1500mの19位は、6回目の五輪で初めての入賞圏外だった。
そして2017年11月19日、ノルウェーのスタバンゲルで行われたW杯の女子5000mを6分56秒60で制し、自身7回目の五輪となる45歳での平昌冬季五輪出場を確定させた。
ペヒシュタインは8位以内に入れば平昌出場の資格を得る状況だったが、優勝、W杯通算33勝目とした。
五輪出場が確定するには、ドイツオリンピックスポーツ連盟(DOSB)による推薦が必要だが、これはあくまで形式的なものとなっているという。
生年月日を調べると 1972年2月22日生まれ。
なんと、札幌五輪画が閉幕した直後に当時の東ベルリンで生まれている。
8回目の五輪を目指す葛西紀明は、1972年6月6日生まれで同い歳ということになる。